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今の政治に不満をもっている人々がしきりに口にするのが「既得権益の破壊」。
しかしそれって「俺にも分け前をよこせ」と言ってるだけでは?
政治と言うのは要するに集めた金をどういう条件で配分するかと言うこと。
この際に重要なのは平等ではなくて公正さ。
みんなに一律にと言うのは平等(もっと言えば悪平等)で、困っている人(この条件を明確にすることが大事)に重点的にが公正。
ここをあいまいにすると話がややこしくなる。

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明らかな犯罪(暴行や恐喝)は別にして、いじめの判定は難しい。
セクハラやストーカー犯罪と同じで、同じ事をされても相手によって受ける感覚が異なる。
受けるほうの主観といえばそれまでだが、詰まるところは相互の信頼関係だろう。
いじめも一種のハラスメントと認定し、法的な整備が望まれる。
本当は教師がきっちり捌ければいいのだけど、それが無理だから法的な裁きが必要となる。
少子化により一人っ子が増えたために、適正な友人関係が作れなくなっているのだろう。

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今の衆参ねじれ状態が問題なのは党議拘束があるから。
要するに野党側が半ば嫌がらせのように与党法案に反対するように党議拘束を掛けることで法案が成立しなくなる訳だ。
例えば党議拘束が緩い合衆国では、野党議員を個別に説得して賛成票を増やすことで法案の成立が図られる。
さりとて、党議拘束が全く存在しないとすれば政党の意味が無い。
党議拘束は政権公約に書かれた項目だけにすべきだろう。

小沢新党が「党議拘束をかけません」と表明していましたが、あの党は要するに小沢氏の考えで動く独裁制だから関係ないですよねえ。

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もうだいぶ昔の話だが、某掲示板にて、
「日本人は三国志を軽く扱いすぎる」と言う意見があった。
要するに、三国志(と確かもう一つが水滸伝だったと思う)は中国人の文化なので、それを好き勝手にアレンジして創作活動をしていると、いつか中国人に使用料を要求されるだろうというもの。
そのときにはあえて反論もしなかったけど、中国人自身が他人の文化に無頓着で、好き勝手にパクリを繰り返しているのだから言えた義理じゃないだろう。

さてここからが本題。
日本人は元来知的所有に関する意識が薄い。
それどころか、本歌取りという、先人の和歌を取りこんだ創作が盛んに行われてきた国でもある。
パクリとオマージュの境界線は難しいが、これを分けるのは何と言っても先人に対する敬意だろう。
虚実ない交ぜの、著作権は大丈夫なのかと思えるネタ満載の小説を読んでいて辿り着いた感想である。


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ムスリムの社会はシャリーアと呼ばれるイスラーム法に則って運営されている。
シャリーアは単なる宗教戒律ではなく広く慣習法として完成されており、ここがキリスト教起源の民主主義と抵触する。
キリスト教社会ではキリスト教の戒律がローマ法やゲルマン法などと交わって慣習法が形成されてきた。
それ故に政教分離が容易であったと言える。
キリスト教がユダヤの民族宗教から普遍宗教へと発展したのに対し、イスラームは普遍宗教からアラブ人の民族宗教へと落とし込んだいわば逆ルートで成立した。
いわゆるイスラーム帝国では支配層のアラブ・ムスリムとそれ以外の異教徒が重層関係にあって共存してきたのだが、
ここに民主主義の平等思想が持ち込まれるれば混乱が生じるのはむしろ当然であろう。

イスラームと言うのはユダヤ教に始まる聖書ストーリーの完成形なのであるが、完成形であるが故にその発展段階で持っていた柔軟性・同化力を失って硬直化している。
政治も宗教もひとたび完成を見ると、そこから衰退が始まるようだ。

参考文献:古代オリエントの宗教


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