忍者ブログ
兼・更新日記
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新記事
最新TB
バーコード
ブログ内検索
お天気情報
フリーエリア
ブログ広告ならブログ広告.com 冬至楼均さんの読書メーター 【トレミー】人気ブログランキング
最新CM
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

利家の死により武断派の諸将が三成の謀殺に動きます。
兼続の元に三成からの使者が来て、これから家康の元へ行くと告げます。
三成起死回生の策ですが、兼続は念を入れて淀の方の元へ助力を乞いに向かいます。(この一件にまで兼続を絡めますか…)
家康主従はこっそりと謀殺も検討しますが、淀の方からの書状により家康は三成の謀殺は思いとどまります。
家康は命を助けてやるから居城へ帰って蟄居していろと告げる。
三成は抵抗しますが、お前に人望がないからだと言われては返す言葉もありません。(お前の誹謗中傷の所為だろうと言いたくなるでしょうけど)

兼続は毛利輝元と計って家康を制止しようと動きますが、
家康は利長による家康暗殺計画があると糾弾。
更に三成による襲撃計画も暴露し、上杉家もこれに荷担したと責めます。
景勝は太閤の遺言を盾に家康の説得を試みますが、
ここで景勝に帰国を進めて話を逸らしてしまいます。
景勝はぶち切れてだったら帰ると言い出します。兼続は京に留まるべきと主張しますが、もはや戦いを覚悟している主君を止める事が出来ません。
挑発したのは家康の方ですが。

小早川秀秋に帰国の挨拶をする景勝主従。
秀秋は彼なりに不穏な空気を感じ取っているようです。
奥方を連れて帰れないのは上杉家に叛意無きを示す意図ですが、場合によってはこれが今生の別れになる可能性もあった訳ですね。

帰国途上、兼続はこっそりと佐和山の三成を訪ねます。出迎えたのは久しぶりの初音さん。
すっかり意気消沈している三成を慰める兼続。三成は自分の人望のなさを今更ながら嘆いていますが、兼続はその私心の無さこそが彼の価値なのだと諭します。
そして両者の密約。家康が上杉討伐に出てがら空きになった京を三成が押さえ、東西から挟み撃ちにすると言う壮大な戦略です。
兼続は自分で聞いていないのに太閤の遺言を察知していたようです。
三成も「天下を…」までしか聞いていないのに。
戦勝を祈願して別れる兼続と三成ですが、これが今生の別れとなります。

家康は北政所から西丸を譲り受け、気分は既に天下人。
利長は母親を人質に家康に屈します。利家もこんな事になると知っていたら家康を刺し殺していたろうにねえ。

拍手[0回]

PR
若松城を初めて見た父上の感想が「まるで裸城だ」確かに堅牢な山城である春日山に比べれば頼りないかも知れません。 (会津へはまだ行った事がないので、個人的な感想は差し控えますが) 死期が近づいた秀吉は旧友利家に昔語りを始めます。 あの当時は利家の方がずっと格上だったのにねえ。 戦乱を予想して上杉家は国境の守りを固めます。 兼続は上洛し、その間兼続の居城米沢は父上が代わりに入ります。 一方、京では家康が着々と陰謀の布石として、三成とこれに繋がる上杉家に対する誹謗を北政所に吹き込みます。 上杉家は、臣従の時の縁とは言え、三成と近づきすぎたのかも知れません。 病床の秀吉は三成の立てた茶を上手そうに飲みます。(こんな所にあの三杯の茶の逸話を…)すっかり惚けてしまわれたようで。 さて、死の直前に彼は三成の耳になんと囁いたのでしょうか。 秀吉の死を受けて景勝も上洛。 久しぶりに幸村君も登場し、今更ながらかつての無礼(出奔)を詫びます。 家康は早速三成いじめを始めます。そんな家康をどうにか押さえられるのは大老中でも利家のみ。 それにしても、三成もとっさに謝るなり場を取り繕うスキルが有れば良いのに、秀吉の後ろ盾を持って押し切る手法が染みついていて抜けないようです。 他の奉行は何をしているのでしょうねえ。 そんな不穏な空気の中、秀頼(を戴く淀の方)に呼び出される諸将。 お母上さまは秀吉に対する忠誠を改めて誓わせようとしますが、一人家康だけは巧みに言質を避け、三成と上杉家に対する攻撃を始めます。 そこに控えていた兼続はこの言葉に噛みついて訂正を求めますが、家康はこれに応じません。 ここまで”黒い”家康の描き方も昨今珍しいですね。 怒りが収まらぬ三成は家康に夜討ちを仕掛ける覚悟を固めます。 兼続は初音からの知らせでこれを制止に向かいます。 逆に、ここまで”熱い”三成もまた珍しい。 家康の狙いは三成を暴発させ、政権から排除する事。戦は最後の手段だと諭します。 三成は踏みとどまって四大老の合議により家康への詰問状を纏めますが、自分に無断での決断は無効だと突っぱねます。 家康を政権に入れるという策は逆効果でしたね。 病床にある利家を見舞う兼続。そこに家康がやってきます。利家は家康に刃を突きつけて誓いの言葉を吐かせますが、どうせなら殺ってしまえばいいモノを。

拍手[0回]

越後での最後の話。
(奇しくもこの前日、謙信公祭に景勝役の北村さんが参加されていました)

兼続の元に三成からの使者が。
療養中の太閤と面談し、上杉家の会津への国替えを求められます。
目的は家康(と政宗)の監視。
(全く登場しませんでしたが、元は蒲生氏郷がこの役目を勤めていたのですが、若くして亡くなっています)
流石に即答は出来なかったようで、持ち帰って景勝に計ります。
景勝は乱世に戻るなら越後の民と共にありたいと言いますが、兼続は謙信の関東出陣を引き合いに、日本全体の事を考えるべきと諭します。

国替えを知らされた家中はやはり反応は悪い。
越後は失うが、佐渡や庄内といった景勝時代に獲得した領地はそのまま、結果として石高は増えます。
が、やはり納得しないモノは居ます。
その最右翼が旧友久秀君。(確か奥様は初登場では?)
そんな久秀に対して、兼続は一つの布石を託します。
越後に一部の身内を残し、後の戦乱に備える積もりのようです。
(まあ、結果的に関ヶ原の後の心証を悪くした策でもありますが)
更に仙桃院も謙信の遺骸と共に残ると言い出しました。
(これも一般的には兼続の策と言われますね)

お船は越後の雪に郷愁を感じているようですが、会津も越後ほどではないにしろ雪は降ると思いますよ。
国替えに際し、上杉領百二十万国の内、米沢三十万国を兼続に与えるように指示します。
一方、家康は秀吉の策を苦々しく思いつつも虎視眈々と牙を磨きます。

さて久秀君、兼続の意を受けて、自身の次三男も越後に残して帰農させる様です。
(しかし、春日山の砂を子供に持たせるなんて、甲子園の砂じゃあるまいに)
残る心残りは直江津の町人宅に身を寄せるお涼さん。
兼続は会津へ来ないかと誘いますが、思いが遂げられる訳でもないし、却って辛いよねえ。
(兼続も立場は入り婿なので妾を持つという訳にも行かないし)
しかし、そこでぽろりと弱音を吐いてしまう辺り、天然の女殺しですね。

景勝は謙信公への最後のご挨拶。
その後、こっそり八海山に上り越後の風景を目に焼き付けます。
そしていつもオープニングで流れていた山の上からの絶景が。

そして会津へのお引っ越し。山一つ向こうとは言ってもかなりの難所ですからねえ。
そして回想シーン。(結構時系列がバラバラですね)

拍手[0回]

景勝は兼続に全権を委任。
(懐が深いのか、無責任なのか)
そこにもたらされたのは関白秀次謀反の報。
兼続はあわてて上洛しますが、秀次は既に切腹した後。
動揺した秀俊(まだ秀秋に改名していないようで)は上杉家に駆け込んできます。
しかし何でそこまで上杉家に頼り切るかねえ。
秀俊を一応宥めた後、三成を訪ねますが逢ってもらえません。
秀次への嫌疑に関して、政宗も審問を受けます。
家康は北政所に手を回してこれを助けます。
恩を売っておこうという魂胆が見え見えですが、北政所様も先を見越しての事でしょう。
そして秀次の残された妻子も一斉に処刑。
無論、謀反人への対処としては正しいモノですが。(謀反が事実であったかどうかはまた別です)
それを見ていた兼続を制止したのは懐かしい初音さん。
相変わらず三成には会えませんが、諦めかけていたところ都合良く太閤殿下から声が掛かります。
太閤はすっかり親ばかを発揮し、お拾を関白にするとまで口にします。
すっかり耄碌してますね。
関白の本来の語りからすれば子供につとまる職ではありませんから。
そして、秀次に対する非情の処分が三成でなく秀吉本人の意向である事を知ります。
初音が伝えたかったのもこれの様です。

諸大名が上洛し、お拾への忠誠を誓う起請文が出されます。
一堂、秀吉の前では腰の低い諸将も、秀吉が居なくなった途端に矛先が三成に向かいます。
家康はすべてを三成におっかぶせる意図のようですが、
これに対して景勝は主君の責を家臣に負わせるなと反撃。
いくら何でも三成一人で豊臣政権が廻るはずがないんですけどね。

再び三成を訪ねた兼続はようやく逢ってもらえます。
(多分、景勝が三成をかばった事が気持ちを和らげたのでしょう)
三成の豊臣絶対王政に対し、兼続は諸大名を政権に引き込んで合議制を退くべきだと提案。
三成はだったらお前も手伝え。と答えます。
二人の相談により五大老五奉行制を纏め、利家に取りなしを依頼。
秀吉にこれを受け入れさせる為の利家の策とは、
幼いお拾の為、と言う大義名分。
しかし、まさかあの三成が泣き落としに訴えるとは。
景勝は小早川隆景の後任で入った筈ですが、この展開では初めから入っていないと確かにおかしいですね。

今回の引きは秀吉の卒倒。そして次回はついに越後からの引っ越しが…。

拍手[0回]

海を渡った上杉軍。
朝鮮海軍の後方攪乱に悩まされる中、帰国命令が下ります。
肥前名護屋で上杉主従を待っていたのは、生まれたばかりのお拾(後の秀頼)に目を細める太閤殿下。
(上杉軍が帰還できたのは、淀の方の口添えがあったのでしょう)
その脇に、すっかり立場を失っている養子秀俊。

毛利輝元に招かれる上杉主従。
秀俊の養子先として毛利家が狙われている件で、上杉家にこれを押しつける算段のようです。
当然にして景勝は即決で拒否。
実際にこんな話があったかどうかは不明ですが、これは関ヶ原への伏線でしょうか。
こまった上杉家はお船を通じて北政所に取りなしを願い出ます。
北政所としてはかわいい甥の事、複雑な心境でしょう。
当の秀俊は、毛利家は嫌だ。と上杉家に泣きついてきます。
景勝は自身の体験談を語って諭します。
結局秀俊は小早川隆景の元へ行く事になるのですが。

一方、もう一人の養子、関白秀次の方はと言えば。
日本を五等分し、四つを秀次に、残り一つをお拾いにと、秀吉に頭まで下げられますがこれをすげなく拒絶。
以外に気骨がありますね。(ある意味でこれが徒となるのですが)
強攻策は三成に窘められ、秀吉はお拾いのために城を造ると宣言。
豊臣政権は内部分裂を来し始めます。
(それにしても、まだ朝鮮では戦闘中の筈なのに、全く描かれませんね)

直江家には待望の男子が誕生。
奥方様はそれを素直に祝福します。意外に落ち着いていますね。

伏見城が完成し、諸将が参賀に訪れますが、秀吉はお拾の風邪によりお出ましになりません。
これを伝達する三成は、秀吉にぶつけられない不満をぶつけられます。すっかり悪者ですね。
それを察した親友兼続はこっそり三成君を慰めに廻ります。
あの三成が兼続の誘いに素直に乗って寝転がるとは思いませんでしたね。

帰国した兼続は領内の再検地など、今まで手が回らなかった国内の整備に乗り出します。
久秀君が兼続の子供達の教育係に推薦したのはあのお涼さん。
越後まで流れ着いた理由は言うまでもないでしょう。
(相変わらず鈍い男だねえ)
確かお船さんとも面識があるし、流石に彼女を娘達の教育係に迎える訳にも、と思ったのですが、兼続の方から娘達を連れてきましたよ。

一方、今日では関白秀次が高野山送りに…。

拍手[0回]

プロフィール
HN:
冬至楼均
HP:
性別:
男性
amazonブログパーツ
忍者アド
アクセス解析
過酷人生ゲーム
Powered by Ninja Blog    template by Temp* factory    icon by MiniaureType

忍者ブログ [PR]