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第四章 領土拡大
 まだ交戦中のギリシアへの遠征。翌年1月に二県割譲で和平。(巻き戻し前はここで領土を取りすぎてBBR値を溜めすぎてしまった)最期に残ったロシアも翌月に和平成立。5月、ロシアはドイツとの大戦で大きく領土を失って講和。
 10月30日、自由党政権へ移行。併せて報道の自由と集会の自由を認める。選挙制度については保留。(共産党政権のまま普通選挙を導入すると一気にプロレタリア革命が起きてしまう)
 明けて01年7月1日、新領地の開発(工場建設)とPOPの転換を終了し、普通選挙による総選挙に突入。翌年3月1日に自由党政権の継続が決まる。
 02年11月、ボスニアとの平和条約が失効。直ちに関係を断絶して戦争に突入する。今回は他国の介入もなく、翌年4月に併合。三県の内一県をセルビアへ割譲し衛星国として独立させる。
 04年1月1日、対オーストリア戦を睨んでイタリアとの防衛同盟を締結。これでしばらくは安全である。
 05年2月、ロシア・イタリアとの外交交渉。海外領土を整理して差益を稼ぐ。
 3月3日、イデオロギー思想を開発。自由主義に関わる思想が広まって、多元性(と自由主義者)が大きく増える。06年、選挙戦で自由党が再選。
 同12月、ロシア・オスマンとの外交交渉。ロシアが支配する旧オスマン領を仲介して代わりにエーゲ海へ穏出口となるテッサロキニ他を獲得。ギリシア回収(解放に非ず)の第一段階。
 07年1月2日、ボスニアとの技術交換。同月10日、オーストリアがボスニアに宣戦布告。同盟に従って参戦する。こちらからの宣戦になるので、イタリアとの同盟が意味を為さない。残念ながら、ボスニア方面は捨てるしかない。ボスニア領が奪われても、その背後にセルビア・モンテネグロ領があるので敵はそれ以上は進めない。3月、ボスニアはオーストリアに併合。オーストリアはロシアと同盟。但し防衛同盟のためこの戦争には影響しない。
 戦線は国境から一歩進んだ地点で膠着。軍事技術の差で敵軍に突破される可能性は低いが、消耗戦に成れば人口で劣る我が国は不利になる。幾度も和平交渉を持ちかけるが了承されない。09年1月にイタリアとの防衛同盟が失効。イタリアは即日我が国への独立保証を約束。1月30日に国家と政府が開発。聖職者主義・官僚主義・体制主義そして貴族主義を選択。
 4月、イタリアと同盟。イタリアの参戦により戦況は一気にこちらに傾いた。半年後に単独講和し。一気に8県を獲得する。残る中核都市は4県なのだが、何故か新領地は飛び地をぐるりと取り囲む形になった。多分、土地単位の優先順位が有るのだろうけど…。
 10年5月、イタリアとオーストリアの和平。イタリアの新領地はオーストリアの首都ウィーンを取り囲む形になった。首都は最期まで割譲されないのだからこれは当然ではあるのだが。
 7月26日、新領土の開発のために、社会民主党を与党に指名。必要に応じて与党を変更出来る点は立憲君主制の利点である。乱発は出来ないけど。社会主義系のイデオロギーが発生し、多元性が100%に達する。社会主義者が増えてしまうのが難点だが。(保守系だと多元性が減少し効果が相殺されてしまうので出番は与えない)
 12月に総選挙開始。自由党へ政権を戻す。(自由主義者より自由党支持者が多く出るのは、思想よりも政策を重視する人間が居るからだろうか?)
 11年9月、トリポリ戦争が起こる。イタリアと同盟を結んでいる関係でオスマン帝国との戦争に巻き込まれるが、わずか1ヶ月で終了。この一件では我が国は全く得をしなかった。そこで、と言う訳ではないがロシア・オスマンとの領土交換を行う。バルカン半島の領地を増やし、アルバニアを衛星国として独立させた。回収すべきギリシア領は残り二つ。領内の鉄道敷設が遅れ気味なので、オスマンから得た新領土の方がインフラ整備が進んでいるのは皮肉である。
 12年、ブルガリア人居住州で工場が完成。社会民主党を与党にして工員・事務員を作成。即座に総選挙。9ヶ月後に自由党政権に移行。
 13年8月、イタリアが保有する南ドイツ人居住県(旧オーストリア領)を入手し、ドイツへ譲渡。多額の手数料を獲得する。翌14年に4月にもイタリアから入手した県を南ドイツ県をドイツへ、交換で得たフランス人県(旧ベルギー領)をフランスへ譲渡。交換でクロアチアの中核都市を入手。5月にイタリアからクロアチア人都市を入手し、首都ザグレブを含む三県でクロアチアを建国。イタリアのこれ以上の南下を抑制したいところである。 

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