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第二章 独立への道
 57年4月5日。オスマンとロシアの間に無条件講和が成立。21日に連合軍とロシアとの間に和平条約が成立した。王国の占領地はそっくり獲得出来た。条約でベリツィを得ていたフランスと交渉し、オデッサとの交換を実現する。これでロシアから領地回収は完了した。オスマン帝国が持つ一県は交渉で得られるとして、懸案はオーストリア(厳密にはハンガリー)の支配地であるトランシルヴァニアである。これは戦争によって奪うしか方法がない。
 60年6月、オスマンより領土獲得。これでオスマン側の中核都市は回収完了。
 66年、晋奥戦争。オーストリアに独立保証を掛けて介入を試みるが、10日余りで終戦。ドイツの小国がプロイセンの衛星国である北ドイツ連邦とオーストリアの衛星国である南ドイツ連邦に統合される。
 同年9月、教皇領がイタリア統一の旗手となる。フランスが教皇領に、オーストリアが両シチリア王国に荷担。12月30日、イタリア統一。
 67年1月、オーストリアがハンガリー人に譲歩し二重帝国となる。(出来ればハンガリーが分離して欲しかったが…)
 70年6月、スペイン王位を巡ってプロイセンとフランスが開戦。イタリアはフランスとの同盟を破棄する。(この辺りから、フランスとイタリアの立場が逆転する)
 12月、オスマン帝国より領地を獲得。ブルガリア独立の阻止を目指す。
 71年、ロシア、バルカンへの介入姿勢を強める。
 7月、プロイセンとフランスの和平。ドイツ帝国の誕生。南ドイツ連邦は併合されるが、北ドイツ連邦は衛星国のまま独立を維持。
 75年、ボスニア蜂起。ルーマニアもオスマン側で参戦するも一ヶ月で鎮定。
 77年、露土戦争。これに先立ってオスマンとの防衛同盟を破棄。日和見を決め込む。その一方でソフィアをオスマンより譲り受け、ブルガリアの独立を阻止する。
 9月にサン・ステファノ条約が締結。ルーマニア、セルビア、モンテネグロの独立が承認される。(ブルガリアの独立が発生しないため、これに続くベルリン条約は生じない)

ソフィアがオスマン領として残っていると、サン・ステファノ条約でロシア傘下の大ブルガリアが誕生する。列強がこれに反発してブルガリア領を縮小した”ベルリン条約”が発生し、小ブルガリアはオスマン帝国の衛星国となり、ボスニア・ヘルツェゴヴィナがオーストリア領となる。
ルーマニアとしては、オーストリアが強くなる事を望まないので、この連鎖を阻止する事にした。
ブルガリアを両国として取り込む事によって、人口は増えるのだが問題も多い。自国文化と異なる国民は何かと厄介なのである。

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