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蛇足です。

政宗は小田原陣に置いて秀吉との対決、つまり天下を狙う最初で最後のチャンスを見送った。
勝ち目など無かったと言うかも知れないが、天下人達は皆勝ち味の薄い一か八かの勝負に打って出ている。そしてこの賭に勝利したことが彼らを天下人たらしめたと言える。

そもそも政宗は天下を目指していたのか。彼は奥州という辺境に生まれ、天下をイメージ出来ていなかったのではないか。
繰り返すが、
「生まれた場所が都から遠すぎたのが全て」なのだろう。
これに対してのM氏の反論は
「多分、信長がいなかったら、天下をとっていたのは、毛利か島津ですよ。(幕末の争乱期を見ればわかるはず)」
九州と奥州の条件の違いを全く理解していません。
九州は都からは遠いですが、古くから大陸文明の流入地で、戦国時代にあってもヨーロッパ人の来航地です。これを同列に扱うのは理解出来ません。


井沢元彦の書斎・逆説の日本史板

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