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そもそも、天下人についての議論がどこから発生したか。

そのスレッドのテーマは伊達政宗についてでした。
「政宗は、本当に遅れて来た英雄か?」
対する私の回答は、「生まれた場所が都から遠すぎたのが全て」
今思えば、あまりに素っ気ないレスだったとは思いますが、M氏が参考として挙げたのが、
山岡荘八氏の「伊達政宗全八巻」と人中津文彦氏の「政宗の天下全三巻」
「フィクションであるのは承知です」
と断りは入っていましたが、政宗を主人公とした小説を素材として出してくる相手とまともな歴史議論が出来るとは到底思えなかったのです。
案の定、氏は「歴史的事実」と「作中の創作」の切り分けが全く出来ていませんでした。
「エスパニアの海軍力を利用して大阪をねらった」
と言うのは歴史的事実として証明されているのでしょうか?
もしこれが事実だとすれば、政宗は国内の覇権を握るために外国勢力を引き込もうとした売国奴と言うことに成りはしないでしょうか。
こう言うのを贔屓の引き倒しというのでしょうね。

そもそも、私は政宗を「天下取りの英雄」としては評価していません。
「天下人の条件」は天下人を実力で打ち破ることであり、戦わずに天下人に降ってしまった政宗はその資格を放棄したと考えます。
秀吉は自分の跡を継ぐべき天下人候補を自ら指名しています。それが豊臣五大老であると言うのが私の至った結論でした。
残念ながら議論がそこまで進む前に、相手が掲示板から消えてしまいました。
理由はよく分りません。しかし、これで私のモチベーションも失われて、そのままに成ってしまいました。

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