遡ってみると、古代には女性の立場は決して低いモノではなかった。
世界各地の男尊女卑の思想はいずれも宗教規範と結びついている。
仏教では開祖である仏陀からして女性を修行の妨げと見る風潮があり、そこから女性忌避の思想が生じている。
儒教は本来は祖先崇拝の要素を儀礼化したモノであったが、これが国家体制と結びつくようになると男子を重んじる傾向が生じ、女性は家系を守るための役割に押込められる事になる。
キリスト教も聖母マリア崇拝に見られるように本来は女性を軽視するモノではなかった筈だが、やはり神学論争の過程で地母神崇拝に通じる聖母信仰の部分は排除される事になる。
イスラムも本来は女性保護の為の戒律が結果的に女性の自律を阻む事になった。
宗教に限らず社会制度というモノは必要に応じて発達するモノであるが、それが時代の変化と共に現実と乖離してしまう。要するに、原因と結果、手段と目的が入れ違ってしまうのだ。
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