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以前、頼朝についての議論をしていて考えた事であるが、頼朝と義昭の運命を分けたのは何だろうか?
二人とも浪々の身から、己の生まれ持った身分を利用して御輿となって天下に号令を掛けるに至った。
個人的な能力ではほとんど互角、いや義昭の方がむしろ上だったのではないかとも思える。二人の運命を分けたのは生きた時代である。
二人の政治的評価を比較すると、頼朝のそれは当時としては革新だが、義昭のそれは保守反動。しかし目指すところにはさほどの違いはない。
時代を見通す目がなかったと言えばそれまでだが、政治というのは所詮結果オーライの世界である。身分という唯一最大の武器が価値を減じていたのが義昭の不運であった。
運命を分けた最大の理由は価値観の変化。即ち下克上の風潮である。

日本では家格と言うモノが非常に重要視されてきた。それが最も崩れていたのが戦国時代である。
江戸時代には再び身分制度が固定化され、明治には多少の流動化はあったが、完全に崩れたのは戦後の民主時代になってからである。
この平成の世に至ってもそれが完全に無くなったとは言えない。例えば同族経営の会社では幹部になれるのは一族だけである。
とは言え、階級制度とは既得権益の世襲であり、これが完全に消滅する事は無いだろう。生物の常として自らを生かす事と同時に子孫の繁栄を図るのはごく自然の事なのだから。

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