三方ヶ原は信玄の”上洛戦”ではない。
途中で病状が悪化して戦線を縮小したと言う事もあるが、それを差し引いてもあのまま進んでいても信長を倒せたとは到底思えない。
信玄に本気で信長とやり合う積もりがあったのかも判らない。
勝頼が高遠城から躑躅ヶ崎館へ移ったのは前年であり、あの一連の戦いは勝頼を後継者として内外に披露する意味があったのではないか。
信玄の目的はあくまで徳川領の浸食であり、周到な信長包囲網も彼の援軍を妨害する狙いではないか。
あのまま信長を倒せたとしても、同盟者である浅井浅倉への分け前を考慮せねば成らず、一挙に天下取りとは行かない。また足利義昭の始末も困るだろう。
義昭については別途書いてみたい。
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