「核のない世界」というのは理念としては理解しますが、すぐ隣に核を持とうとしている国が有る状態では、とても現実的とは思えません。
米露の合意が有ったように上限を決めて制限するのがせいぜいの所。それも米露が削減する中で中国当たりが増産したら意味がないし。
更に昨今の低炭素社会を押し進めるならば原子力発電の比率を増やさなければならないと言う矛盾も生まれます。
人間、一度知ってしまえば知らなかった昔に戻る事は出来ません。
それこそがキリスト教で言う原罪なのでしょう。
老人性痴呆=惚けというのは本人にとっては救いなのかも知れません。
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