フランスとドイツの間にあったのがブルゴーニュ公国ですが、
これは別に武力侵略を受けた訳ではなく、時の当主に娘が一人しか居なかったところに隣の皇帝家から婿を取ったことから吸収されてしまった訳です。
厄介なことに、ブルゴーニュ家は元は反対隣のフランス王家の親戚だったので、分け前を巡って一触即発。
欧州史ではおなじみ?の継承戦争と相成りました。
婚姻と相続の際に常に付きまとうのがサリカ法。
要するに娘には跡継ぎの資格はありません。亡くなった当主に娘しか居ない場合には、遡って男子継承者を捜すのですが、これには明確な順番はなく最後は力ずくと言うとになります。
これはゲルマン族の伝統なので、この法が適用されない王家もありまして、
昨日ふれたナバラ王国もこの法の適応外であったので、王位が巡り巡ってブルボン家の手に落ちた訳です。
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