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通常版の方は色々と不備が見つかったので取りあえず引っ込めました。

調べていて思ったのは、陸続きの国は大変だなあと。
スペインとフランス、フランスとドイツの境界領域には、
どっちにも属さない領主がいて、状況に応じて右に付いたり左に付いたりしていたようですね。
スペインとフランスの境界にあったナバラ王国はヨーロッパ系と異なるバスク人の国で、でも長い間に貴族階級は通婚が進んでいたので、分割吸収されていく、16世紀初頭というのはちょうど過渡期だった訳です。
一方のフランスとドイツの境界は、元は両国にまたがるフランク王国が東西に分裂する時に境界線を引かれた訳ですが、
これも此処に線が引かれることに全く意味がなかった訳でもなく、
西側はほぼ全域がローマ化されていたのに、東側はローマ化されなかった領域でした。
とは言え、長い中世の秋を経てそんな違いは大した問題ではなく、どこで線引きが確定してもおかしくなかったと思われます。
何となく思うのは、ドイツとスペインがハプスブルクという一つの王家で占められなかったら、
逆にフランスはもっと小さく纏まったのではないかと。

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