スペインとフランスの国境、ピレネー地域に存在したバスク国ですが、
そもそも彼らの言語は印欧語族に属さない、つまり元々周囲とは異質な民族だったようです。
恐らくはローマ化の過程で山中に取り残されたのでしょう。
それも中世を経て周囲と文化的にはさほど差はなくなっていたと思われます。
ピレネーの南北にまたがるパンプローナ王国が建国されますが、これが分裂してカスティーリャやアラゴンという国歌が生まれます。
この両国が合同してスペインが生まれるのですが、それはまだ先の話。
北側ではこれに先立ってガスコーニュ公国が誕生しています。このガスコーニュの語源がバスクな訳ですね。
ピレネーの南にスペインが、北側にフランスが強力な統一王国を築くと、
パンプローナ王国この頃にはナバラと改称していますが、双方から削り取られて消滅します。
南側は一足早く占領され、王族は婚姻によって手に入れた北側の領土へ落ち延びます。
こちらの方は最期のナバラ王エンリケがフランス王位を継承してアンリ4世となる訳です。
これって見方を変えればスペインもフランスもバスク系の王家によって支配されたことになる訳ですが。
スペインのバスク人の一部は分離独立を主張して闘争を繰り広げていますが、
そんな彼らの名称がETAというのは。
偶然とは良いながら日本人には何か訴えかけるモノがある名称ですね。
日本人に一番縁の深いバスク人と言えば、かのザビエルでしょう。
彼の父がナバラ王国の宰相だったと言うのは実に興味深い話でした。
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