忍者ブログ
兼・更新日記
[624] [623] [622] [621] [620] [619] [618] [617] [616] [615] [614
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
最新TB
バーコード
ブログ内検索
お天気情報
フリーエリア
ブログ広告ならブログ広告.com 冬至楼均さんの読書メーター 【トレミー】人気ブログランキング
最新CM
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

スペインとフランスの国境、ピレネー地域に存在したバスク国ですが、
そもそも彼らの言語は印欧語族に属さない、つまり元々周囲とは異質な民族だったようです。
恐らくはローマ化の過程で山中に取り残されたのでしょう。
それも中世を経て周囲と文化的にはさほど差はなくなっていたと思われます。
ピレネーの南北にまたがるパンプローナ王国が建国されますが、これが分裂してカスティーリャやアラゴンという国歌が生まれます。
この両国が合同してスペインが生まれるのですが、それはまだ先の話。
北側ではこれに先立ってガスコーニュ公国が誕生しています。このガスコーニュの語源がバスクな訳ですね。
ピレネーの南にスペインが、北側にフランスが強力な統一王国を築くと、
パンプローナ王国この頃にはナバラと改称していますが、双方から削り取られて消滅します。
南側は一足早く占領され、王族は婚姻によって手に入れた北側の領土へ落ち延びます。
こちらの方は最期のナバラ王エンリケがフランス王位を継承してアンリ4世となる訳です。
これって見方を変えればスペインもフランスもバスク系の王家によって支配されたことになる訳ですが。

スペインのバスク人の一部は分離独立を主張して闘争を繰り広げていますが、
そんな彼らの名称がETAというのは。
偶然とは良いながら日本人には何か訴えかけるモノがある名称ですね。

日本人に一番縁の深いバスク人と言えば、かのザビエルでしょう。
彼の父がナバラ王国の宰相だったと言うのは実に興味深い話でした。

拍手[0回]

PR
この記事にコメントする
name
title
color
mail
URL
comment
pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
secret (チェックを入れると管理人だけに表示できます)
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
プロフィール
HN:
冬至楼均
HP:
性別:
男性
amazonブログパーツ
忍者アド
アクセス解析
過酷人生ゲーム
Powered by Ninja Blog    template by Temp* factory    icon by MiniaureType

忍者ブログ [PR]