第五章 パナマ解放作戦
92年の総選挙では自由派が47.5%。保守と反動を合わせても37.5%と及ばない。これは急進的な無政府自由主義者が11.1%に達するためである。この選挙期間中に大幅な減税を施行し国民の急進性を下げる方策を行った。
12月1日に自由党政権の存続が決まると、防衛費を最大に引き上げた。いよいよ宿願のパナマ解放作戦の始動である。
ベネズエラとの同盟は失敗。コロンビアがエクアドルと防衛同盟関係にある事が問題なのか。よく見ると、エクアドルは国威を大きく失っている。そこで(国威の減少を避けるため)コロンビアではなくエクアドルに対して宣戦を布告した。計算通りコロンビアは戦争に加わってくる。
人口では我が連邦は480万余りに対してコロンビア・エクアドル連合は550万少々とやや負けている。ここは短期決戦に持ち込むべきであろう。
海路首都グアテマラを直撃してきたエクアドル軍を撃退すると、主力をパナマ侵攻に差し向けた。94年2月4日、コロンビアの首都ボゴタを占領。連邦はパナマ州3県の他、それに隣接する1県を獲得した。直ちにパナマに資本家を配置し、出遅れていたパナマの開発を開始した。余得のギブド県については96年にベネズエラへ譲渡し代償として軍事技術を大量に入手した。これも後から考えるともう少し待っても良かったかも知れない。
少し戻って95年1月、機関銃が発明される。これで海外植民地を作れる、と思ったのだが、狙っていた太平洋の島々は既に英米に取られていた。機関銃の発明が遅かった事もあるが、ハワイを手元に残しておけばと改めて感じた。
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