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第三章 疑似二大政党制時代
 52年末、集会の自由を認める。これにより明けて53年1月1日に民主制へ移行し総選挙が開始される。民主化へ踏み切った理由は二つ。工場建設は良いとして、鉄道の敷設は資本家による方が遙かに効率がいい。そして鉄道を布くとプロヴァンス毎の生産性が上がる。第二に、民主化して自由主義政権を作った方が移民の効率が大きい。とは言え、このままでは保守系の政権が出来てしまうので、富裕層のみの制限選挙の導入を行う。
 53年10月1日、予定通り自由党政権が誕生。グアテマラに最初の資本家が誕生する(色々とやってみたが、資本家を置くならまず此処であろう。後半に資本家へ資金が廻らず開発が頭打ちになってしまった事があるが、貴族との競合が問題らしい。そこで共産党時代に貴族を出来る限り削って見た訳である)。政治改革としては、報道の規制を緩め国営放送から検閲報道にする。(ここは一気に自由報道でも良かった気がする。と言うのも…)
 10月5日、自由主義革命が勃発。といっても、自由主義者はまだそんなの多くないのでさしたる影響は無いのだが。(革命を回避するためには自由報道と組合の制限無しが必要であった)
 翌54年7月4日、革命は何事もなく終焉を迎える。
 ここから15年ほどは、何事もなく順調に工業化が進むのだが、選挙の度に保守層の急進性が上がっていく。そして68年の段階で遂に反動勢力が最大多数に達した。そこで4月1日に普通選挙による総選挙に踏み切った。
 69年1月1日、再び国民党が政権与党の座に返り咲く。自由貿易を掲げる自由党政権時代には不可能だった最大関税を導入し、その代わりに貧民層の税率を37.50%まで引き下げた。この後、民主化と独裁のサイクルを繰り返し、高まっていた保守層の急進性を下げる事に腐心する。
 71年1月1日、汽船による輸送艦隊を編成し、海外進出を試みる。その目標はハワイ王国。8月に侵攻を開始し、11月には併合を完了する。驚くべき事に、地元民よりもヤンキー(北部アメリカ人)の方が圧倒的に多い。とてもステート化出来ないと思い、即座にイギリスへ売却してしまう。(ハワイで算出する魚を目当てに併合したのだが、何故だが全く倉庫に入らない。後で気付いたのだが、輸送用の船を用意していなかっただけなのであった)

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