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第四章 高度経済成長期
 72年、再び二大政党制へ移行。社会党を与党とし、即座に民主制へ移行。社会党政権下で、まだ工場を建てていなかったニカラグアに織物工場を、続いてサルバドルに缶詰工場を建設する。6月に制限選挙制を施行し、11月に自由党政権が誕生する。
 しばらくは何事もなく推移するが、77年に資本家が汽船建造所の建設を開始する。これが非常な利益をもたらし国庫を潤す事になるのだが、それはともかく77年8月1日に自由党政権の存続が決まる。が直後の18日に議会のスキャンダルが発覚。10月に解散総選挙に打って出る。
 この時点で自由派が44.4%、保守派が37.8%、反動主義者が20.3%。保守派の分裂を好機として普通選挙を導入。投票日の78年7月1日には自由派はやや目減りした(自由派40.4%、反動主義28.3%、保守派21.2%)モノの、自由党政権は無事に信任された。
 さて79年5月1日、汽船建造所が稼動を始める。これがこれまでにないほどに利益をたたき出し、租税のみで国政が賄える状況になったので、関税の廃止に踏み切った。
 80年5月、人口が400万人を突破。この頃から聖職者を随時事務員へと転向させる。82年7月1日の総選挙では、やはり保守層の分裂により自由党政権の存続が決まる。(自由38.9%、保守28.0%、反動18.2%)
 ホンジュラスに資本家を配置。この頃から各地に毎年のように工場が造られるようになる。当然に工員・事務員の比率が上がっていくのだが、自由主義者はさほど増えない。どうやら社会改革の遅れが影響しているようである。
 86年8月、保守派の突き上げ(保守41.0%、自由37.1%)により解散総選挙が行われる。翌87年5月保守党政権が誕生し、最低限の安全規則、少額の最低賃金を導入。即座に総選挙に打って出る。だが、翌88年3月、政権を握ったのは自由党であった。

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