第二章 共産主義の台頭
43年1月1日、集会の自由を禁じた上で政党を解禁した。2月1日、二大政党制へ移行。保守党を与党に指定し低水準の医療制度を導入した。(集会の自由をそのままにしておくと即座に民主制へ移行してしまい、政権与党を指定出来ない)
そして集会の自由を認め、国民党時代には不可能だった兵の退役を行い、各地に散らばっていた兵士をサルバドルへ集中する。
3月1日、民主制へ移行(実は42年中に一度民主制・独裁のサイクルを一度やっていたためにまだ総選挙期間中であった)。世論はまだ反動主義が主流であったため、6月1日に再び国民党政権となる。当然、翌月には再び独裁制へと戻ってしまう。
47年末、再び集会の禁止と政党の解禁を行う。明けて48年1月1日、二大政党制へ移行。ここで政権与党を出来たばかりの共産党(社会党と共産党は48年から登場する)へと変更する。確認はしていないが、恐らくは世界最初の共産党政権国家であろう。
(自由放任政策では資本家が工場や鉄道整備を自動的に行うのだが、工場に関しては所在州のみしか行わず、開発に地域差が発生してしまう。そこで計画経済を行う社会党か共産党の登場となったのだが…)
社会党でなく共産党が選ばれたのは、社会党が厭戦主義なのに対して共産党が好戦主義であったこと。(もう一つはより急進的な共産党の場合、民主化してプロレタリア独裁への移行も可能だった点が有ります。まあ、試行錯誤の結果、その線は捨てられましたけど)
50年1月7日、連邦の存続が確定。共産党政権で資金に余裕が出来たので、そろそろ外交にも乗り出します。第一目標は将来のパナマ奪還を考慮して、コロンビアの背後に位置するベネズエラとの接近。
52年11月、共産党政権下での貴族=地主階級への圧迫政策(税率を100%にしただけ)によりサルバドルの貴族が転落。共産党が倒れるのが先か、貴族がすべて居なくなるのが先か?
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