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非常によく出来た小説だと思う。
ただ、これがもしかしたら本当だったのでは無いかとかリアリティがあるとは思わない。成立するにはあまりにも多くの偶然が必要で、ご都合主義過ぎるのだ。
まず影武者の世良田二郎三郎という名前。これは家康の祖父清康の通名と同じである。これは偶然にしてもありえない。まあこの名前は元ネタである「史疑」から取ったもので、これが本当だとは作者隆慶一郎氏も考えていなかっただろう。
次にお梶の方の文字通りの抱きこみ。これは主人公の人間的魅力のアピールにも繋がるのですが。そのお梶付きの女房の中に風魔小太郎の娘がいたと成るともはや出来すぎ。
そもそも彼女は太田氏の出身と言われ後北条氏とは対立していた可能性が大きい。そんな女性の下に風魔の女が居たと言うのは大いに疑問だ。
関ヶ原以降の家康が別人では無いかという作者の疑問の根拠の一つが前後で女性の趣味が変わったと言うもの。
でも若い頃は後継ぎを儲けるために出産経験のある後家を相手にし、ある程度の子供が儲けられたから余生は若い女を愛でると言うのも自然でしょう。
子供についても同様。関ヶ原以前は子供に対する愛情が無く、関ヶ原以後は違うと言うのも年を取って出来た子ほど可愛いというごく当たり前の話。
この作品はそれまでの”親孝行な”秀忠像をひっくり返すのが目的と言えますが、そこには戦中派すなわちいくさ人と「戦争を知らない」戦後派の世代対立が感じられます。
連載が昭和61年と言うことは世界は冷戦の中にあり、関ヶ原から大坂の陣に至るまで豊臣対徳川の対立もやはり東西冷戦といえるものでした。
つまり二郎三郎(もちろん作者本人)が止めようとしたのは来るべき第三次世界大戦だったのかも。



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