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某所で死刑の是非について論争をしました。
廃止論者との議論で気付いたのが、平和論・軍備否定論との類似でした。
廃止論者の死刑への拒否反応は軍備に対する平和論者の態度には通じるものが有るようです。
曰く、誰もが犯罪者になりうるではないか。
あまりに馬鹿馬鹿しくて突っ込む気になりませんでしたが、もしかして自分が死刑に成りたくないから死刑廃止を主張するんでしょうか。
曰く、死刑は犯人の更正機会を奪う。
ではその犯人が奪った被害者の人生はどうなるのか?
挙句に死刑賛成論は「死刑の存在を正当化するために無理矢理な解釈がされているような気がする」ときました。
私から見れば死刑廃止論者こそ、死刑は意思のために無理やりな解釈を繰り返しているとしか思えません。

が、とある死刑廃止論者からどちらも感情論なのだと。
この一言で私は議論から手を引くことにしました。
私の最後の一言。
「私は思想の自由を尊重しますので、他人の考え方を強いて変えようとは思いません。」
死刑廃止論を唱えるのは自由です。但し現状では死刑は存在するので、廃止すべき理由を説明する義務は廃止論者の方に有ります。

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