最近では一生懸命と誤記されて、その方が市民権を持ちつつありますが。
この言葉はある意味で日本の家制度の根幹に関わるものと言えます。
家制度が法制化されたのは明治以降なのですが、それが受け入れられる余地はそれ以前の江戸時代からありました。
武士は家禄、農民はもっと直接的に農地という形で、家は生活の原資と一体のものでした。
さて士・農と来たので、残る工商はどうでしょうか。
職人は家に寄らず、身に付けた技術によって日々の糧を得ますが、西洋のような徒弟制度の無い日本ではやはり親から子への技術伝承が基本。但しそれ以外にも弟子入りという形での技術習得は可能ですが、この師弟関係の中にもやはり擬制の家族制度が見え隠れしています。
残る商家は、能力重視であるためか息子の継承よりは有能な番頭を娘むこにするという形式が取られます。それ以外にも暖簾分けという形式が存在しますが、やはりこれにも擬制の家族制度が伺えます。
こうした下敷きがあって、明治の民法によって家制度が法制化されたのですが、近代化の過程は家制度の解体過程でもありました。
世襲によらない官僚やサラリーマン層の成長により家制度は実体を失っていくのです。
第二次大戦の敗戦が無くても、いずれ日本の家制度は消滅していったでしょうが、その変化が急激であったためにさまざまなひずみが生まれているのも確かです。
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