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三国方面の滝川軍は撃退され、上杉本軍の第一目標だった森長可軍は越後から引き上げてしまいました。
結局、兼続の策は不完全。このままでは魚津城兵の死は無駄になるところ。
(だったらもう一度越中へ出張れば良さそうなモノですけど、流石にそこまでの余力は残っていないのでしょう)
失意の兼続の前に現れたのは新妻お船。相変わらずタイミングの良い方です。
しかしとても新婚夫婦の初対面には見えませんね。
泣くのは良いけど、奥方の前だけにしておけよ。志気が落ちるから。

主命による結婚を謝る兼続。どこまで鈍いのでしょうねえ。
お船としても、昔から好きでしたとは(亡夫の手前)言えないでしょうし。

籠城する魚津兵に光秀よりの手紙。(藤田氏によると義昭黒幕説に繋がるのですが)
そして本能寺。
初音さん、まだ居たの。って感じですが。
(ここに至るまで実家真田家の動向が全く触れられていないと言うのも…)
いままさに死なんとする信長の前に現れたのはお懐かしや謙信公。
信長には”天地人”の内”人”が欠けていたと諭す。
しかし信長はそれを一蹴。(どうせなら此処であの有名な「是非も無し」を使って欲しかった)

本能寺を逃げ延びた初音は(どうやったのか)光秀の背後を取ってその首を絞めますが流石に光秀もひとかどの武将。女の細腕では倒せません。
(本気で殺す気なら刃物を使おうよ)
信長の死を知らない魚津城。
城が落ちたのは皮肉にも本能寺の変の翌日でした。
しかし、柴田勝家の方も魚津に時間を掛けすぎたために秀吉に後れを取る訳ですが。
魚津を落とした柴田軍は何故か兵を戻します。
(滝川や森の撤退は早すぎませんか?)

相変わらず合戦シーンを描かない今大河。
山崎の合戦も描かずに、ただ小栗栖での光秀横死シーンのみ。
(まあ、上杉家には直接関係ないですけどね)

本能寺の変も上杉家から見るとこうなるのか、と言う意味ではおもしろい描き方でした。

光秀からの手紙が本能寺の直前だったとして、明智からの協力要請だった。
と言うのが藤田達生氏の説なのですが。
無理筋ですね。

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