D氏は後継者である頼家や実朝の悲劇を以て頼朝の失敗としたいらしいですが、それは酷というモノです。
頼朝の「政治的天才」と言う評価は鎌倉幕府を作ったことに拠るモノですから、彼の死後についての評価は含んでいません。
D氏は北条家の「頼家粛清」を下克上であると主張しますが、歴史的な用語を全く理解していないようです。
さて本題です。
D氏は頼朝の女性問題をクローズアップして女性無しではいられない異常者であると断じます。
これだけでも失笑モノですが、そこから更に踏み込んで異常者であるから天才である(可能性がある)と展開します。流石に付いていけません。
このスレは本来頼朝の「政治的天才」を否定するモノであったはずです。
C氏はこの驚天動地の展開をどのような気持ちで眺めていたのでしょうか。
異常者=天才は彼の中では動かし居がたい事実となっているらしく、
異常でない天才の例を挙げられても全く意に介しません。
初めは「天才はすべて異常である」を証明する筈が、「異常でないモノは天才ではない」となります。
完全な循環論です。
最後に一言、D氏は(彼の基準で)天才なのでしょう。
頼家の粛清が「下克上」であるならば北条家は将軍に成っているはずです。しかしこの時代にはまだ家格と言うモノが生きているので北条家はどんなに足掻いても将軍に離れません。
そもそも「下克上」が存在したのは戦国期のごく短い間でしか有りません。
江戸期にはいると「下克上」は再び否定されます。
そこで「主君押込」と言う行動が生まれます。
D氏は「下克上」の源泉が「主君押込」だと主張していますが、両者は全く対立する概念です。
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