忍者ブログ
兼・更新日記
[236] [235] [234] [233] [232] [231] [230] [229] [228] [227] [226
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
最新記事
最新TB
バーコード
ブログ内検索
お天気情報
フリーエリア
ブログ広告ならブログ広告.com 冬至楼均さんの読書メーター 【トレミー】人気ブログランキング
最新CM
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

最も論争が激しかったのが二番目の女性問題でした。
C氏は「山木判官の娘といい、政子といい…」と初めから事実誤認をしていた訳ですが。(正しくは「伊東祐親の娘」ですね)
私がこれを指摘したときも全く訂正は有りませんでした。間違いを認めたら負けと思っているのでしょうかねえ。

私の反論は二点。
女狂い(と見せたの)は頼朝なりの韜晦ではないか。
姻戚関係を通じて味方を求めていたのではないか。

後者については全く反応無し。
前者についてはまあ、意見の相違もあるから特に争うつもりはなかったのですが、
ここで第二の人物が登場する訳です。


伊東の娘の一件では頼朝は実際に殺され掛けています。
しかし、この一件が本当に問題ならば、頼朝はしかるべき処分を受けて当然ですし、これを庇うモノ(具体的には北条一族)も現れなかったはずです。
要するにこれは娘を孕まされた祐親の私憤としか思えません。
C氏は「流人は正当な理由が有れば殺しても良い」と主張しますが、
もしこの時に頼朝が殺されていたら監視役の方も独断専行を理由に処罰されただろうと思います。
平家政権に頼朝を殺す意図があったなら、源氏の地盤である関東なんかに流すはずがありません。
頼朝の流刑とは中央での権力闘争に敗れ、故郷へ帰って隠遁生活に入った。くらいの感覚ではないでしょうか。
その内に、中央で政変が起きて再起のチャンスが運良く巡ってきた訳ですが、そのまま老いさらばえた可能性も十分にあったでしょう。

拍手[0回]

PR
この記事にコメントする
name
title
color
mail
URL
comment
pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
secret (チェックを入れると管理人だけに表示できます)
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
プロフィール
HN:
冬至楼均
HP:
性別:
男性
amazonブログパーツ
忍者アド
アクセス解析
過酷人生ゲーム
Powered by Ninja Blog    template by Temp* factory    icon by MiniaureType

忍者ブログ [PR]