伊東の娘の一件では頼朝は実際に殺され掛けています。
しかし、この一件が本当に問題ならば、頼朝はしかるべき処分を受けて当然ですし、これを庇うモノ(具体的には北条一族)も現れなかったはずです。
要するにこれは娘を孕まされた祐親の私憤としか思えません。
C氏は「流人は正当な理由が有れば殺しても良い」と主張しますが、
もしこの時に頼朝が殺されていたら監視役の方も独断専行を理由に処罰されただろうと思います。
平家政権に頼朝を殺す意図があったなら、源氏の地盤である関東なんかに流すはずがありません。
頼朝の流刑とは中央での権力闘争に敗れ、故郷へ帰って隠遁生活に入った。くらいの感覚ではないでしょうか。
その内に、中央で政変が起きて再起のチャンスが運良く巡ってきた訳ですが、そのまま老いさらばえた可能性も十分にあったでしょう。
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