馬上での居眠りについて。
馬に乗ったまま眠れるというのは普通に凄い気もします。
若い頃からの癖で馬上で居眠りしたら、落っこちてそれが元で死んでも不思議はないな。と言う意味の意見を書いたら、
「勝手にそんな「事実」を作るな」と文句が来ました。
落馬死亡説はごく一般的なモノですが。
「仮説の一つだ」とか言って謝罪も訂正も有りませんでしたよ。
さて、居眠りの一件では結局父と合流出来たのですが、その後もう一度はぐれてこれが今生の別れとなりました。
父義朝は部下の裏切りで命を落としているので、一緒にいたら頼朝も殺されていたでしょう。その意味で彼は運が良かったと言えます。
個人的な意見としてはこれはわざと別行動を取ったのではないかと考えます。
義朝が無事である限り、幼い頼朝はたとえ捕まってもすぐに殺されることは無いでしょうし、逆に義朝が殺されてしまえば、頼朝を焦って殺す必要も有りません。
頼朝が助命された経緯については清盛の継母が強く働きかけたからなのですが、これは”本来の”怨霊信仰が働いていたのかも知れません。
本来怨霊というのは子孫が居なくなって祀られなくなったモノが成るモノでした。よって易姓革命が起きると旧王族が赦免されて諸侯に封じられると言うようなことが普通に行われました。
これが日本に入って無実の罪で殺されたモノが恨みから怨霊となると言う思想へと変化したようです。
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