危機的状況は人間の様々な本性をむき出しにさせる。普段は気にならないような些細なことが気になって仕方がないと言うのもその一つだ。
物資の不足は様々な我慢を人々に強いるが、それがある種の強迫観念となってある種のヒステリー状態を引き起こす。
そんな一例として、選抜高校野球のテレビ中継を止めさせようと主張しているブログを見た。
開催の是非に付いても意見は別れるだろうし、中継すべきでないと言うのも理解出来るのだが、そのブログの主張は、「被災者の情報源を奪うから中継を止めろ」と言うモノだった。
感情として理解出来なくもないが、被災者向けの情報源としてテレビメディアは適さないと思う。
特に民放に顕著だが、あれは明らかに被災者以外に対する放送になっている。テレビから安否情報を得る為には終日画面に釘付けに成っている必要がある。被災者にそうした時間的余裕はないだろうし、電力事情がそれを許すかどうかも不明である。そうした情報はネット上に挙げて空き時間にアクセス出来るようにしておいた方が遥かに有効だ。
テレビでやるなら折角のデジタル化なのだからデータ放送の部分を使えばいい。
ブログ主は単純に高校野球が嫌いなのだろう。
確かに甲子園大会を年二回やったり、それを全国的に中継することについては確かに議論の余地はある。しかし、それをいまこの状況下で主張するのは、原発反対派が原発トラブルを利用して反対運動を激化させているのと同じ匂いがする。
[0回]
PR