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母仙桃院に贈られた奥方からの文には、側室を持ってください。
景勝は流石に躊躇しますが、母上は謙信公の二の舞に成らないようにと忠告。
景勝には跡を継がせる養子すら有りませんからねえ。

病弱な竹松は待たしても発熱。
姉たちも心配して母に帰ってきて貰おうと訴えます。
奇しくも、上方でも奥方が様子見のためにお船に帰国するようにと命じます。
奥方も竹松の病弱を知っているご様子なので、口実ですね。
子を持てなかった奥方としては、自分の子と引き離されているお船の苦衷を見過ごせないのでしょう。
そもそも、お船が上洛したのは奥方が渋っていたからですから、今となっては用済みなんですよねえ。
病床にあっても流石は育ちが良いと見えて、久しぶりに逢う母親にも実に丁寧な言葉遣いです。
まあ、悪く言えば線が細いとも言えますけど。

慶長八年、家康は征夷大将軍に任じられます。
兼続はこれを受けて江戸へ祝いに行くと言い出しますが、弟実頼はそれに真っ向反対します。
気持ちは分からなくもありませんが、今の上杉に徳川を咎める力はありません。
江戸へ立つ直前に奥方の病気が知らされます。
直ちに上方へ向かおうとする景勝。家臣はそれを止めようとしますけど、それだったら知らせなければ良いのに。
兼続は、構わず奥方の元へ行くように進言します。
再会した奥方は真っ先に側室の話を持ち出します。
武田の滅亡も、勝頼が正室の子で無かったから。というのは奥方の理解ですが、だからこそ自分で子を産む事に固執していた訳ですね。

江戸に残り景勝不在を責められる兼続は、自分たちの主君は大坂の秀頼であり、そこへ向かう事に何の逆心があるかと強弁。
家康も、妻を見舞うだけで伏見へ行った景勝が理解出来ないご様子。
そこへ割って入ったのは政宗。一見邪魔をしたようで、上手く兼続を下がらせる事に成りました。
家康もそれを理解した上で、政宗の顔を立てた形です。

翌年、奥方の訃報が。しかし、昨年は果たせなかった秀頼への謁見を優先。
しかし、不覚にも御前で涙する景勝。兼続は巧みにこれをフォローします。
帰国後、奥方から兼続への文が届きます。

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