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蛇足です。

政宗は小田原陣に置いて秀吉との対決、つまり天下を狙う最初で最後のチャンスを見送った。
勝ち目など無かったと言うかも知れないが、天下人達は皆勝ち味の薄い一か八かの勝負に打って出ている。そしてこの賭に勝利したことが彼らを天下人たらしめたと言える。

そもそも政宗は天下を目指していたのか。彼は奥州という辺境に生まれ、天下をイメージ出来ていなかったのではないか。
繰り返すが、
「生まれた場所が都から遠すぎたのが全て」なのだろう。
これに対してのM氏の反論は
「多分、信長がいなかったら、天下をとっていたのは、毛利か島津ですよ。(幕末の争乱期を見ればわかるはず)」
九州と奥州の条件の違いを全く理解していません。
九州は都からは遠いですが、古くから大陸文明の流入地で、戦国時代にあってもヨーロッパ人の来航地です。これを同列に扱うのは理解出来ません。


井沢元彦の書斎・逆説の日本史板

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やっと本題。

五大老を個々に見ていくと、
徳川家康:小牧長久手で秀吉に判定負け。
前田利家:賤ヶ岳の戦いに勝家方として参加。
毛利輝元:秀吉の主君信長の最後の敵。秀吉自身が軍団長としてその攻撃を担当。
上杉景勝:先代である謙信が手取川にて織田軍を撃破。秀吉自身は直前に離脱。

多少、こじつけくさいとは思いますが、いずれも天下人との合戦暦があります。
若輩の宇喜多秀家のみが条件を満たしていませんが、彼は秀吉の猶子であり、前田利家の娘婿であるので、前田家の補完勢力と考えます。利家は家康や景勝に比べると石高も低いですし。

もし、政宗が小田原陣の時に秀吉と一戦交えていれば、間違いなくこの中に入れたでしょう。
政宗の遅参は同盟者である北条家を結果的に見捨てた事になり、諸大名からの評価を明らかに下げたでしょう。
もし戦っていたら、伊達家は取りつぶされていたのではないかと言う意見も有るでしょう。
しかし、北条家を潰した上に伊達家も、となれば東国の平定に余計な手間を増やす事になります。それよりは伊達家を残して置いて、関東へ移すことに決まっていた家康を牽制させる方が利口というモノです。
同じく辺境の島津家がトドメを指されずに生き残ったことも一つの傍証になるでしょう。
そしてこの島津家こそ、五大老に入るべき、入ってもおかしくない大名家ではないでしょうか。
もし島津家が五大老の一角を占めていたら、天下分け目の関ヶ原は毛利島津同盟対徳川家康と言うどこかで見た様な戦いになったでしょう。

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そもそも、天下人についての議論がどこから発生したか。

そのスレッドのテーマは伊達政宗についてでした。
「政宗は、本当に遅れて来た英雄か?」
対する私の回答は、「生まれた場所が都から遠すぎたのが全て」
今思えば、あまりに素っ気ないレスだったとは思いますが、M氏が参考として挙げたのが、
山岡荘八氏の「伊達政宗全八巻」と人中津文彦氏の「政宗の天下全三巻」
「フィクションであるのは承知です」
と断りは入っていましたが、政宗を主人公とした小説を素材として出してくる相手とまともな歴史議論が出来るとは到底思えなかったのです。
案の定、氏は「歴史的事実」と「作中の創作」の切り分けが全く出来ていませんでした。
「エスパニアの海軍力を利用して大阪をねらった」
と言うのは歴史的事実として証明されているのでしょうか?
もしこれが事実だとすれば、政宗は国内の覇権を握るために外国勢力を引き込もうとした売国奴と言うことに成りはしないでしょうか。
こう言うのを贔屓の引き倒しというのでしょうね。

そもそも、私は政宗を「天下取りの英雄」としては評価していません。
「天下人の条件」は天下人を実力で打ち破ることであり、戦わずに天下人に降ってしまった政宗はその資格を放棄したと考えます。
秀吉は自分の跡を継ぐべき天下人候補を自ら指名しています。それが豊臣五大老であると言うのが私の至った結論でした。
残念ながら議論がそこまで進む前に、相手が掲示板から消えてしまいました。
理由はよく分りません。しかし、これで私のモチベーションも失われて、そのままに成ってしまいました。

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実はまだ試用ユーザーなので二年間しかテストしていません。

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戦国史シナリオ倉庫

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信長から家康に至る「天下人の時代」は征夷大将軍の居ない(実際には足利義昭は追放されただけで解任はされていませんけど)、大空位時代とも言えます。
将軍というのは天皇と言う古き権威より正当性を賦与されますが、天下人というのは言ってみればむき出しの武力によって支えられるモノなので、その交代は武力による簒奪しかあり得ません。
問題は秀吉から家康への交代劇です。
秀吉亡き後の天下が家康の手に落ちたのは、家康が生前の秀吉に負けなかったことが重要です。つまり家康が天下に手を掛けたのは関ヶ原に非ずして、小牧長久手にあった訳です。
序でに言えば、家康は信長とも桶狭間で戦っており、この時も自身は負けていません。

この戦歴こそが天下人の条件ではないか、と言うのがこの稿の趣旨になります。

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