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持統女帝を背後から支え、万世一系の天皇家を成立させた立て役者こそ藤原不比等である。彼こそはその後の日本社会の基礎を作った史上最高の政治家と言って良いだろう。
不比等は天智帝の息子であるという噂があった。彼の母は天智帝の子を孕んだまま鎌足に下げ渡され、娘なら返せ、息子ならおまえの子にしろと言われたらしい。
これが真実なら(少なくとも藤原氏の家伝ではそう信じられている)、不比等自身が天皇になることも可能ではあった。それを敢えて裏方に徹したのは慧眼である。この時代、天皇位はまだ安定したモノではなく、藤原天皇が誕生していればいずれは更なる簒奪が繰り返されたであろう。
継承権を男系に絞るという選択は簒奪を困難にしている。権力者は自分の子を天皇にすることは出来ず、娘を天皇に差し出してそこから生まれた男子を天皇にするしかない。子供を作ると言う作業において女性は受け身である。男性である天皇がその気にならない限り、この過程は成立しないのだから。

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元来、皇統が嫡系へと受け継がれるという原則はなかった。
天智天皇の息子大友皇子の母は身分が低く、本来なら彼は皇位を継ぐ資格がなかった。
そこで天智は「不改常典」を定めて天皇の嫡統のみが皇位に付けると定めた。これが今日の「万世一系」の根拠となっている。
大友皇子は叔父の天武帝の反乱で倒され、その意図は潰えたかに見えた。
この「不改常典」を再び持ち出したのは天智の娘である持統女帝であったのは歴史の偶然であろうか。

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第4巻購入。巻の肆は現在推敲中。

取りあえず巻の壱に蛇足を附加しました。
なお、前回のアップで巻の肆の女性を”お沙和”と書いてしまいましたがお圭の誤りですので訂正しました。
公式hpの小さな画像だけで判別したのが失敗でした。この二人が一番見分けにくいよねえ。ポイントは耳の前に垂れている毛の長さ。

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金持ち喧嘩せずと言う。
古くから強兵とされる地域は九州とか東北とか貧しい地方が多かった。逆に豊かな大都市部の兵は弱いと言われている。
貧しい地域・国では喰うために兵隊になるものが多く、結果として優れた人材が集まってくる。これは見方を変えれば、豊かな地域では生命の価値も高くなり、貧しい地域では低くなると言える。

テロリズムの横行は情報技術の進歩に一因があるのではないか。
容易に手に入らない豊かさを目の当たりにしてしまったとき、それを手に入れる為に暴力以外の手段を見いだせないのは不幸である。

もし戦争が起こったら…

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暑い。
朝起きたら雨が降っていて、梅雨が明けたと思ったらまたか、と思っていたが。
今年は暑そうだ。

*別のネタを書いていたのだが、ほぼ書き終わったところでアップをミスって仕舞った。
気が抜けたので、オフラインで推敲して改めてアップするします。

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