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(新年早々見ている人がいるとは思いませんが)取りあえずおめでとう御座います。

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札幌は残念でした。
決勝カードはまあ、大方の予想通りとなりました。

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今度は閣僚が辞任。
こちらは弁解の余地が無さそうですが、やはり任命責任の追及とはどうかと。
職務の範囲内で失敗があったなら任命者も責任を問われるのが当然ですが。
すぐに後任が決まる辺り、まだまだ自民党は人材が豊富ですね。その代わり一度転けたら二度と出番は来ませんけど。

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年末なので(?)書庫に手を入れました。
面倒なので、リンクは付けません。

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hpの企画、と言うか戦国史のシナリオ作りで、ヴィクトリア時代の世界情勢について色々と調べて居るのだが、
その過程で西欧列強の植民地の統治政策の違いについて考えてみた。

まずスペインの融合政策。現地人と混血を繰り返し、結果として支配階層と被支配階層との境界が曖昧に成ってしまい独立戦争の連鎖を招いた。
次ぎにフランスの同化政策。文化的な現地民に本国の方式を持ち込んで、それを受け入れた人々には本国並みの待遇を与えた。但し、すべての植民地にそれが浸透する前に植民地帝国は崩壊してしまった。
そしてイギリスの分割統治。現地民から協力者を募り、彼らを介して間接的な統治に終始した。それが上手く行きすぎて植民地帝国の解体に際して現地民同士の抗争という問題が発生する事になる。
これら三通りの手法はいずれもローマ帝国の手法に基因する。
最初期の都市国家レベルの時には、とにかく人口を増やすために近隣の民族との婚姻政策を行い、次ぎにローマの法体系を同盟国へ伝播し、最後にはその軍事力を背景に近隣諸国を分断し帝国に従属させた。

異民族を支配した事も、支配された事もない日本人には植民地帝国は荷が重かったと言える。

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