頼朝と義経は異母兄弟だった。
この当時は出産や養育は実家で行う物だったので、同母兄弟は親密だが異母兄弟は父の後継者を巡ってむしろライバル関係に成る方が多い。
この両者も父義朝が存命で有れば手を取り合って戦う事が無かったかも知れない。
頼朝は三男であるが、母親の血統が良かったために嫡男として扱われていたと言う説もある。兄二人の生母を考えると有りそうな話ではあるが、話が煩雑になるので深くは追及しない。
頼朝と義経は平家打倒では力を合わせたが、義経にはその後の展望が全くなかった。また軍事の天才とされるが、その武功は大軍を率いての物ではなく、常に搦手の奇襲戦ばかりであった。
義経は明らかに後白河院による離間策の犠牲者であるが、それが無くとも自滅していただろう。
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