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晴信公の謀反宣言。
雪斎は小山田にも密かに手を伸ばしていたらしい。
一方、晴信派の調略は信繁の守り役であった諸角以外をしっかり押さえていた模様。それを察した小山田も甲斐を割る事を良しとせず。
信繁も兄の謀反を歓迎。これで甲斐は無事に一枚岩になったか。

さて、まだいまだ謀反を知らぬ信虎は、帰国の途につきます。
これを遮る役を仰せつかった勘助。前に出てきた北条浪人も再登場してこれに同行します。この人、この後も出番はあるのか?

母者は、夫の元へも行かず、さりとて息子の側にも居られず出家を宣言。自ら選んだ道とは言え、晴信は両親を一編に失う事になりました。
甲斐国境へ来て初めて異変に気付くお父上。お供まで一斉に逃げ出す始末。
ようやく状況を理解した信虎、そこへ今川からの迎えとして勘助登場。これってタイミングが悪いと信虎が暴れ出して最悪の状況もあり得ましたね。

勘助の殺気を感じ取った信虎は剣を抜きます。生き恥をさらすよりは死を望んだのかも知れません。
史実が無ければ此処で敵討ちを遂げて終了といきたいところですが、青木君の乱入で却って気が削がれたか。
多少の負け惜しみもあったかも知れませんが、信虎はみごとに自分を出し抜いた晴信の手腕を評価したようです。
殺すべき時に生かされる方が辛い。と言うの前にやられて知っていたからこそ最後に踏みとどまって殺さずにおさめたと。

あの仕打ちも「我が子を千尋の谷へ突き落とす」信虎なりの子育てだった訳です。
利口な信繁は、岡目八目も有ったでしょうけど、そこまで気付いていたような発言でしたね。
皮相な見方をすれば、晴信の謀反をみごとに合理化して見せたとも言えますが。

次回からいよいよ本編なのですが、むしろ此処で終わっていた方が名作と言えるような気がします。

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不定期で、つまり思いついたときに、シナリオの制作状況などを書いてみたい。

制作途上の物は二つ。いずれもHP上で言及しているけど、
一つはヴィクトリア朝物。小説「ディファレンスエンジン」の世界を再現した物である。
これは現在中断している。この時代を扱った某商業ゲームがあるので、それで再現可能ではないかと思うからだ。
実際に入手して試してみるまでは手を付けないだろう。
(購入後には戦国史から離れてしまうかも)

もう一つは、やはり仮想物だが信長が生きている設定での世界版シナリオである。
これはシナリオの主役と言うべき日本の近辺とヨーロッパはほぼ完成していて、局部的にテストプレイが可能な所まで来ている。
いま、30年戦争関連の条件イベントを設定中なのだが、これをやっていると、マップをドイツ限定にするのは無理っぽいのが判ります。

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離婚後の出産について、これまでは300日以内の出産の場合には民法上前夫の子として扱われてきたのですが、今後は再婚相手の子、あるいは非嫡出子として認められるようにすると言う事らしいです。

離婚後300日以内に生まれた子が、前夫の子でないと言うのは
1)未熟児だった、か
2)結婚中に別の男性と交渉を持っていた
のいずれかですね。
前者の場合は医学的な証明が可能でしょう。
後者の場合は不倫をしていた、あるいは夫婦生活が既に破綻して別居状態であった。と言う事ですね。
いずれの場合でも前夫の方も認知したくないのではないでしょうか。だとすれば、これは女性の保護なのか、それとも男性の保護なのか。
そもそも結婚というのは、子供の父親を法的に規定する制度な訳ですから、その保証が崩れているなら”事実上の離婚”(事実婚の逆)とすればよいのではないでしょうか。
それとも、結婚制度を廃止しますか。妊娠が確定した時点で父親を特定する訳です。その都度”出来ちゃった婚”とでも言いましょうか。
どうやって育てるのかはまた別の問題になりますね。

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以前、頼朝についての議論をしていて考えた事であるが、頼朝と義昭の運命を分けたのは何だろうか?
二人とも浪々の身から、己の生まれ持った身分を利用して御輿となって天下に号令を掛けるに至った。
個人的な能力ではほとんど互角、いや義昭の方がむしろ上だったのではないかとも思える。二人の運命を分けたのは生きた時代である。
二人の政治的評価を比較すると、頼朝のそれは当時としては革新だが、義昭のそれは保守反動。しかし目指すところにはさほどの違いはない。
時代を見通す目がなかったと言えばそれまでだが、政治というのは所詮結果オーライの世界である。身分という唯一最大の武器が価値を減じていたのが義昭の不運であった。
運命を分けた最大の理由は価値観の変化。即ち下克上の風潮である。

日本では家格と言うモノが非常に重要視されてきた。それが最も崩れていたのが戦国時代である。
江戸時代には再び身分制度が固定化され、明治には多少の流動化はあったが、完全に崩れたのは戦後の民主時代になってからである。
この平成の世に至ってもそれが完全に無くなったとは言えない。例えば同族経営の会社では幹部になれるのは一族だけである。
とは言え、階級制度とは既得権益の世襲であり、これが完全に消滅する事は無いだろう。生物の常として自らを生かす事と同時に子孫の繁栄を図るのはごく自然の事なのだから。

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イラク戦争に際してブッシュ親子を武田親子になぞらえた比較論を見た覚えがある。
父がやり残した仕事を不詳の(と言われていた)息子が成し遂げて父親越えをすると言うストーリーである。
この場合、フセインは誰になるのか。アメリカ=武田ならフセイン=信長では比喩として大きすぎるので家康になるだろうか。
共通の敵(イラン=今川)を倒すために協力したブッシュ父(=信玄)とイラク(=家康)であるが、意に反して強力に成りすぎた同盟者を一転して叩いたのが湾岸戦争(=三方ヶ原)と言う事になる。
しかし、完全に息の根を止める前に任期(寿命)が尽きてしまうブッシュ父。
そして息子が再びフセインに挑む事になった。

息子の方はフセインの排除に成功したのだが、それだけでは勝利とは言えない。フセイン後の新生イラクの青写真が全く見えないからだ。
長篠城攻めにおける勝頼もそれは同じである。家督相続後、目先の戦いには勝ち続けていたが、具体的な天下取りの構想は全く立たない。いや天下を取れと言い残した父の遺言がそもそもの負担なのである。
ブッシュには父の遺言というような物はない。(そもそも父は死んでいない訳だし)イラク問題も父のやり残した仕事という訳ではない。ブッシュ父の心残りと言えば、再選出来なかった事だろうが、共和党政権はその前のレーガン政権から3期続いていたから、彼の負けはすべてが彼の責任という訳でもない。
ブッシュ息子は取りあえず父の果たせなかった再選は果たした。有る意味でその瞬間から彼はレームダック状態に陥ったと言える。

今のブッシュ大統領にとっての目標はイラクでの成功によって歴史に名を残す事だろう。
迷惑な話ではあるが、当事者がすべて死んだ後には彼はある種の”英雄”として評価される可能性があると思う。
実際、英雄という連中は生きている当時の人達からは迷惑以外の何者でもない。
英雄が必要とされる時代は不幸である。

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