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越後勢との初戦を終えて諏訪へ立ち寄った御屋形様。
勘助について由布姫に相談したい事が有ると言うのだが…。

それを知らずに甲斐へ戻る勘助。そこにすっかり居着いてしまったリツさんが。
晴信の相談事というのも勘助の嫁取りについて。それを聞いた姫様の表情は複雑です。
その女性を探るふりをして側室の話を引き出してしまう辺りやりにくい女性です。
困惑する勘助は父親の原美濃守にねじ込むのだが、正直者の美濃さんはこの婚礼が殿様の計らいである事を漏らしてしまいます。
相木の挑発にも真田の説得にも全く乗ってこず、相も変わらず戦の話に明け暮れる勘助くん。
二人との打ち合わせの結果を晴信へ報告する勘助。
促されて、ついでのように婚儀の話を持ち出してお断りを入れる勘助。
そこへ景虎上洛の報せが。
勘助はこれを好機と三国同盟の推進を提案します。これで嫁取りの話は取りあえず先送りに成りました。

上洛した景虎は後奈良帝に拝謁し懲罰綸旨を獲得します。

勘助の策は、三河尾張方面へ出陣した今川の背後を北条に突かせ、今川を同盟に引き込むと言うモノ。
寿桂尼は武田を利用して北条を討つべきと主張しますが、雪斎は武田は当てにならぬからむしろこれを利用して背後の安全を確保すべしと提言します。
嫡男氏真の正室を北条から迎えればよい。と言う雪斎の言葉を聞いても、本人は状況が理解出来ない様子。
三将の会見。何となく、義元が上座に座っている感じですね。
武田の姫を北条へ、北条の姫を今川へ。三国の盟約はこの三将が生きている限りは守られる事になります。
その影で、勘助と雪斎の腹の探り合いが行われています。
今回に関しては勘助が一本取った感じですが。
勘助君、御屋形様と四郎様のためだけに戦うと宣言していますが、敵の軍師相手にあまりにあからさまですね。
三条夫人は結局娘を嫁に出す事にご不満ですが、大名家の姫君に他の選択肢は無いでしょうに。
目出度い婚儀の席で母親が泣けば、娘の方は余計に悲しくなるだけなのですが。

由布姫様は次回死ぬようですが、何とも唐突ですね。
確かに晴信との会話で咳き込んで見せていましたが、初めから体は弱いと言う設定にしておけば良かったのに…。

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久しぶりの勝利。
地元局で中継していたのですが、実に冷や冷やする試合でした。
順位とかはもういちいち考えても仕方ないですね。

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二院制というのは大きく二種類に分けられる。
一つは共和制ローマ以来の身分制議会。
上流富裕階級で構成される元老院と一般市民から成る民会である。
これを採用しているのは戦前の日本や英国など、階級社会が残っている国家である。
対して合衆国やドイツのような連邦国家では中央の意思決定を担当する議会と、地方の利益を調整する議会が並立している。

日本の参議院はそのどちらにも当てはまらない。
今更戦前のような貴族院を復活させる事は出来ないのだから、合衆国型の例えば各県二人ずつにしたらどうかと言う提案は以前にもしたので繰り返さない。
今回取り上げたいのは参議院の役割である。
一つの法案を二回にわたって審議するというのはハッキリ言って無駄である。
しかしそれ以上に問題なのは現在のように両院の第一党が異なるねじれ状態をどうするかと言う事である。
総選挙で野党が過半数を取って政権交代が成ったとしよう。その時に参議院が旧与党が過半数を維持していたら必然的にねじれ国会となる。
つまり今のようなカーボンコピー的な二院制では二大政党によるスムーズな政権交代など端から不可能なのである。

まだ試案だが、法律や予算案を作るのは衆議院のみとし、参議院は行政機関の監視並びに憲法との整合性の議論等に特化すべきだと思う。

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出版芸術社から出ている横溝正史自選集の七巻「仮面舞踏会」を古本にて入手、再読したので年表を見直しました。
新たに書きかけだった事件当日のタイムスケジュールを公開しています。
ネタバレの更にネタバレになるのでくれぐれも未読の方はご覧にならないように。

さて、この自選集ですが巻末に付録史料が付いています。
これがなかったならたとえ安価な古本であってもわざわざ買わなかったでしょう。
改めて思った事は「35年の壁」とでも言いましょうか、
探偵小説から推理小説への移行、松本清張による社会派の隆盛と言うヤツです。
これは金田一自身の年齢の問題もあります。
昭和35年だと、彼はぎりぎり40代です。作者自身も60代の金田一はとても書けないと吐露しています。
金田一耕助最後の事件「病院坂」は唯一60過ぎの彼が登場します。
この「壁」の構築により、長編化されたいくつかの金田一作品の年代が繰り上げられました。
この修正が年表化の際に矛盾を生じさせています。

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某所での議論(と言うほどには深まらなかったが)のまとめ。

徳川幕府滅亡の遠因は朱子学だった。家康は何故こんなモノを採用したのか。
と言う問いかけに対して、
徳川幕府が260年続いた原因が朱子学なのだ。
朱子学は確かに毒性があるが、薄めて使えば薬になりうる。
この毒素を濃縮したのが他ならぬ家康の孫、ご存じ水戸の黄門様である。
水戸学が幕末の倒幕運動を生み出した事は確かだが、その一方で水戸学は明治の南朝正統論へと繋がった。
水戸学が南朝を正統としたのは、徳川家が新田流を名乗った所為ではないか?
新田は南朝の忠臣であった。
その子孫である徳川家は忠臣の末として明治の世に生き残る事が出来た。
水戸学は結果的に徳川家の命脈を救った事になるだろう。
と言う結論に至りました。

政治的な勝利者と歴史的な勝利者は必ずしも一致しないと言う良い見本でしょう。

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