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しばらくゲームに填っていたせいか、
「そんなに独立って良い事かな」
とか思ってしまいます。
まだ最終的な結論は出ていませんが、取りあえず旧ユーゴの分離独立はすべて終了と言う事でしょう。
余計なお世話かも知れませんが、そんなに国家の規模が小さくなって経済的に立ちゆくのだろうかとか心配になってしまいます。

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第八章 帝国主義の時代
 29年10月に3000万を突破。さしあたっての目標はすべて達成した観がある。此処で新たな目標として思いついたのが石油資源の確保である。アブダビに殖民地戦争を仕掛け、翌30年4月に併合する。
 ペルシア湾はあまりに本国から遠い。せっかく送った兵を戻すのも面倒である。勢いに乗って隣国オマーンへ兵を差し向ける。31年3月より開戦し、翌年1月に全土を占領し即座に併合。本当は軍事拠点としてソコトラ島が欲しかっただけなのだが。即座に衛星国として独立させると、西部の二県だけ手元に残った。
 オマーンがザンジバル方面に持っていた領有権は当然に消滅。喜んだのはその方面を領有していたドイツとイギリスであろう。連邦にも余得はあった。オマーンがソマリアに持っていた植民地施設を入手していたのである。残りを持っているのは世界第三位の列強・イタリア。売り払おうにも両国の関係は非常に悪い。ならば、と殖民地戦争を仕掛ける事にした。
 イタリアが握るソマリアの植民地施設をすべて奪取し、ソマリアの領有を宣言する。制海権はイタリア側にあるので兵を本国へ戻す事も、逆に増員する事もままならない。行き掛けの駄賃と言う事で、内陸のエチオピアへ植民地戦争を仕掛ける事にした。間の良い事に、エチオピアはイタリアとの戦争に敗れて国威を大きく失っていた。しかもイタリアとの和平期間中なのでイタリアの干渉も無い。
 34年2月、全土の占領を完了し併合、即座に独立。手元に残った県の内ソマリアと接する一州を残して四県をイギリスへ譲渡。これは英国の植民地と接していたので交渉はすんなり成立。その引き替えとして旧コロンビア領の内二県を獲得して飛び地を解消。更にカリブ海のバハマ諸島を新たに領土として加える事となった。
 その後、イタリアとは講和が成立。少なくとも対イタリア戦争に関してはこちらの一方的な儲けになった。更に、アラビア半島の全土獲得を目指してイエメンを併合、即独立。更に内陸へと兵を進めたが、全土占領を完了する前に時間切れとなった。欲張らずアブダビとオマーン・イエメンから得た土地を繋げるだけも良かったかも知れない。

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第七章 列強入り
 20年9月、1500万人を突破。ふと隣国(実は間に友好国ベネズエラの飛び地が挟まっているのだが)のコロンビアが国威を大きく失っている。これを好機と宣戦を布告。ベネズエラに通過許可を貰えなかったので海路で軍を送り込み、あっという間に首都ボゴタを占領。6県の割譲で講和する。これでコロンビアは海に接する領地をすべて失った。その内、ベネズエラに二県を譲渡、またイギリスとの領土交換によりベリーズとジャマイカを獲得する。手元に残った旧コロンビア領はエクアドルと接触する二県のみ。結局実現しなかったが、この段階ではエクアドルとの戦争も視野に入っていた。
 22年9月に2000万突破。しかし中央アメリカ人の比率は78.4%。ジャマイカのクレオール人が6.3%、旧コロンビア領に住む北アンデス人が3.5%、建国からずっと居るメキシコ人は(総数としては増えているが、相対的に)2.7%に減少した。興味深いのが南北のドイツ系移民である。彼らは宗教が違うために同化せず、南ドイツ人は5.3%と国内第三位の北ドイツ人はそれよりも少ないモノの1.8%と軽視出来ない勢力を形成している。
 25年10月に2500万を突破。多数派の中米人はやや増えて79.0%だが、南ドイツ人が6.0%に増加し、第三位のクレオールの5.3%を越えてきた。以下、北アンデス人が3.5%、メキシコ人2.7%北ドイツ人が1.8%と続く。
 何故ドイツ系移民が多いのか。プロイセンがドイツ統一に失敗し、北ドイツ連邦がそれと拮抗して存在する事、また南ドイツはその大部分がオーストリア帝国の支配下に納まっている、と言うドイツの分裂状況が多分に影響しているのだろう。
 28年6月に列強の末席に名を連ねる。そして29年4月、工業力が2000を越えた。取りあえず旧宗主国スペインは凌駕した。宿敵だったメキシコも最早敵ではない。しかし新大陸最強を名乗るにはアメリカ合衆国があってとても無理。ではカトリック国最強はと見るとイタリアが第三位にいる。第5位のオーストリアも多数派はカトリックであろう。何となく中途半端な感じである。
 

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第六章 人口爆発
 96年2月、ホンジュラスの資本家が燃料精製所の建設を始める。石油も出ないしまだ自動車も普及していないのに。いや国内で出ないなら、どこか産油地域を取ってしまえば、と考えてから実行に移すまでまだ大分時間がある。
 自由主義政権が安定期に入ったので、97年にイデオロギー思想の研究に踏み切る。20世紀に入り、02年には人口が600万を突破。これは自然増の他に、移民とパナマの獲得が影響している。04年に国家と政府の研究を終える。選んだのは発生順に聖職者主義、官僚制、能力主義そして人民主義である。
 05年に最初の減税。貧困層の税率を37.%とする。更に09年には中流・富裕層も42.19%に減税。
 10年2月に700万人突破。新大陸において我が国より人口が多いのは5ヵ国のみ。アメリカ合衆国はともかく、他の4ヵ国(メキシコ・カナダ・ブラジル・チリ)は抜きたいところである。12年1月に800万突破。この間わずか二年である。このまま領土拡張を行わなく出も、移民と自然増だけで1000万の大台はは楽に越しそうである。
 13年に経営戦略が完成。残っていた貴族の内、パナマとニカラグア(既に存在した資本家に合流)が資本家に変化。ホンジュラスとコスタリカは貴族のまま。
 14年2月に900万突破。やはり二年で100万のペースである。15年7月、今まで主に兵士の供給所となっていたエルサルバドルにも遂に資本家を配置。この時点で資本家の人口比率は3.4%。貴族と合わせても富裕層は4%を越えないだろう。
 16年1月、遂に1000万人を突破。このまま2年で100万増のペースが維持されるなら3000万まで届くか届かないかと言う所だが…。

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中央アメリカ連邦は1823年に当時のメキシコ帝国より分離建国され、39年に現在の五ヵ国に分離してしまった。
その為にゲーム上のデータはほとんどが架空のモノと言う事になる。
ゲーム上における政党としては基本的なモノしか設定されていない訳だが、それでは面白くないので一度プレイを終えた後でいくつか政党を新たに設定してみた。

初期設定では保守党・自由党・国民党・急進党と成っているが、これをすべて_派と変更する。連邦存続が起こる50年より保守系として国民党とキリスト教民主党、自由派に代わり立憲自由党と国民解放党。反動主義者の為に国民共和党と連邦党を設定する。
国民党は現在のホンジュラスに存在する保守系の政党であり、この名称を用いるために反動主義者を連邦派とした。反動派の連邦党はその流れで命名した。
同じく、キリスト教民主党はホンジュラス・エルサルバドル・グアテマラに存在し、
また立憲自由党はニカラグアの政党である。
国民解放党はコスタリカに国民共和党はエルサルバドルに実在する。前者は80年の社会主義革命の頃に急進派と合流し国民共和党は05年にファシスト政党に転換する。
社会党については、80年に民主社会党とキリスト教人民社会党(ニカラグアに存在)とに分裂する。
共産党は分裂しない。と言うより急進的政党はなるべく複数置かない方針にしている。

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