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こう言う問題こそ国が処理すべきだと思う。
これまでの行政はどちらかと言えば生産者の方を向いていたので、消費者庁というのは意味のあることだと思う。
上手く行けば将来的には福田内閣の業績として残るのかも知れない。

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若い頃は、とにかく上が詰まっているし、今の体制を壊してでもと思い詰め勝ちである。
ある程度年が行けば、精神的にも経済的にも安定して、自然と保守化する。
これが逆だと悲惨だろう。
若い頃にとにかく勉強して良い大学へ入って一安心、と思っていたら不運に見舞われて…。

倒産した某証券会社の社員達はまさにそんな心境なのだろう。
当人達に全く責任がないとは言わないけど。
寄らば大樹の陰とは言うが、大きな木には雷が落ちやすいし、倒れると周りを巻き込んで被害を大きくする。

あれ、何の話だっけ。
国家というのはその様ないざと言う時の安全装置を果たすべき。
逆に言うと、上手く行っている時にはなるべく見えない方がよい。
ただ、危機管理能力というのは通常業務では量れないから困る。

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失職したタイの首相は再任を諦めて党首を辞任しました。
しかしこれは有る意味では民主主義の敗北と言えます。
つまり、”選挙”では首相を退任させられず、
決め手となったのは武力による首相府の”占拠”だったのですから。

日本の相次ぐ首相交代劇も、必ずしも民意と直結していませんが、
このタイムラグこそが民主制の特徴です。
改革が遅いからと言って手続きを簡略化しようとすると、独裁者を作り出してしまうことになります。
一度独裁者が生まれるとこれを排除するには(内か外かは別にして)武力を用いるしかありません。

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人権とは生まれながらに備わっているのではなく、国家によって保証されるモノである。

と言う訳で昨日の続き。
昔読んだ某有名小説で、
「国家の存亡より個人の自由の方が大事だ」
と言う意味合いの台詞があった。
(原作が手元にないので正確な引用は出来ません。悪しからず)
高校生ぐらいで読んでいたら別の感想もあっただろうけど、
既に結構いい歳だったので、
「国が無くなったら個人の自由は誰が保証してくれるんだ」
発言者はこの言葉を後で咎められるのだが、
外敵を排除出来る有能な軍人が彼だけだったために罪には問われない。
断罪の過程にもかなり問題があったのは確かだが、
彼をまともな方法で糾弾出来なかった時点でこの国の自浄作用は失われていたと言える。

人権思想というのは単なる約束事である。
それを守らせる暴力機関無しには存在し得ない。
国家というのはその為の必要悪である。

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タイの首相が料理番組に出ていたことで失職したらしい。
要するに閣僚の副業を禁じた憲法に違反したと言うことらしいのだが、
当人に辞める気はさらさら無く、議会で多数を握っている限り再選されるのだろう。

この混乱は「民主主義が未成熟だから」では無く、民主制の欠陥が現れただけである。
そもそも”民主主義”とは、多数決の正義ではない。
以前に書いたが、
「民主制では少数派が敗北を容認しないと成立しない」
現代民主制の発祥はフランス革命だが、その三原則は自由・平等・友愛である。
この三つ目がくせ者で、
これは裏を返せば仲間じゃないヤツには人権は保障されないのである。

人権とは生まれながらに備わっているのではなく、国家によって保証されるモノである。

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