今、HPに上げた参考文献を見直しているのですが…。
江戸の武家社会では賄賂は付け届けという呼び方で慣習となっていました。
基本的に成長のない江戸時代においては、限られたパイを如何に不満を持たせずに(平等にではない)分けるかと言う事が重要で有り、その為の一つの知恵としてこの様な慣習が生まれたのでしょう。
そこには成長社会に欠かせない効率という概念はありません。
さて、現代日本でもこうした慣習は無くなっていません。
例えば、お中元やお歳暮。日常のこうした交際は直接には利益とは結びつきませんが、何かあった時には日頃の結びつきが契約に影響しないでしょうか?
贈収賄は具体的な利益供与がなければ成立しません。
また悪名高き談合というのもパイの分配ばかりに意識を向けて、競争という要素を排除した日本的なモノと言えるでしょう。
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