忍者ブログ
兼・更新日記
[47] [48] [49] [50] [51] [52] [53] [54
カレンダー
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新記事
最新TB
バーコード
ブログ内検索
お天気情報
フリーエリア
ブログ広告ならブログ広告.com 冬至楼均さんの読書メーター 【トレミー】人気ブログランキング
最新CM
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

金持ち喧嘩せずと言う。
古くから強兵とされる地域は九州とか東北とか貧しい地方が多かった。逆に豊かな大都市部の兵は弱いと言われている。
貧しい地域・国では喰うために兵隊になるものが多く、結果として優れた人材が集まってくる。これは見方を変えれば、豊かな地域では生命の価値も高くなり、貧しい地域では低くなると言える。

テロリズムの横行は情報技術の進歩に一因があるのではないか。
容易に手に入らない豊かさを目の当たりにしてしまったとき、それを手に入れる為に暴力以外の手段を見いだせないのは不幸である。

もし戦争が起こったら…

拍手[0回]

PR
ジダンの退場が話題になっている。
彼の行動がレッドカードに値することは確かだが、いかなる場合でも暴力はいけないと言う意見には与しない。彼の行動を誘発したとされるイタリア選手の挑発がどのような扱いを受けるのか注目される。

ジダンの行動に否定的な人間は総じて暴力を嫌う平和主義者であろう。そして彼らの主張は、いかなる場合でも戦争はいけない、となる。
問題は戦争を起こさないことではなく、戦争をコントロールすることなのだが。平和主義者は戦争のことを考えることを嫌うため根本的な解決から遠ざかってしまう。

拍手[0回]

ミステリー小説などでは「利益を得た者を疑う」と言う鉄則が語られる。しかし、歴史的事件をこの方式で解く事は出来ない。
そもそも実際の陰謀は予定通りには進まないので、陰謀を企てた者が最終的な勝利者になるとは限らないのである。
「風が吹くと桶屋が儲かる」と言うが、別に桶屋が儲けを狙って風を読んだ訳ではないのである。
こうした受益者=陰謀家という短絡的な発想が「陰謀論」である。

この典型として「本能寺の変・黒幕説」がある。
秀吉や家康が黒幕として名を挙げられるのは本能寺の変によって利益を被ったと判断されるからである。が、実際には本能寺の変は即座に秀吉の天下をもたらした訳ではなく、まして家康の天下は本能寺の変からは全く計算出来ない。むしろ、本能寺の変が無い(つまり信長が生きていた)方が家康の天下は(秀吉を挟まない分)早く来たのではないか。

拍手[0回]

蛇足です。

政宗は小田原陣に置いて秀吉との対決、つまり天下を狙う最初で最後のチャンスを見送った。
勝ち目など無かったと言うかも知れないが、天下人達は皆勝ち味の薄い一か八かの勝負に打って出ている。そしてこの賭に勝利したことが彼らを天下人たらしめたと言える。

そもそも政宗は天下を目指していたのか。彼は奥州という辺境に生まれ、天下をイメージ出来ていなかったのではないか。
繰り返すが、
「生まれた場所が都から遠すぎたのが全て」なのだろう。
これに対してのM氏の反論は
「多分、信長がいなかったら、天下をとっていたのは、毛利か島津ですよ。(幕末の争乱期を見ればわかるはず)」
九州と奥州の条件の違いを全く理解していません。
九州は都からは遠いですが、古くから大陸文明の流入地で、戦国時代にあってもヨーロッパ人の来航地です。これを同列に扱うのは理解出来ません。


井沢元彦の書斎・逆説の日本史板

拍手[0回]

やっと本題。

五大老を個々に見ていくと、
徳川家康:小牧長久手で秀吉に判定負け。
前田利家:賤ヶ岳の戦いに勝家方として参加。
毛利輝元:秀吉の主君信長の最後の敵。秀吉自身が軍団長としてその攻撃を担当。
上杉景勝:先代である謙信が手取川にて織田軍を撃破。秀吉自身は直前に離脱。

多少、こじつけくさいとは思いますが、いずれも天下人との合戦暦があります。
若輩の宇喜多秀家のみが条件を満たしていませんが、彼は秀吉の猶子であり、前田利家の娘婿であるので、前田家の補完勢力と考えます。利家は家康や景勝に比べると石高も低いですし。

もし、政宗が小田原陣の時に秀吉と一戦交えていれば、間違いなくこの中に入れたでしょう。
政宗の遅参は同盟者である北条家を結果的に見捨てた事になり、諸大名からの評価を明らかに下げたでしょう。
もし戦っていたら、伊達家は取りつぶされていたのではないかと言う意見も有るでしょう。
しかし、北条家を潰した上に伊達家も、となれば東国の平定に余計な手間を増やす事になります。それよりは伊達家を残して置いて、関東へ移すことに決まっていた家康を牽制させる方が利口というモノです。
同じく辺境の島津家がトドメを指されずに生き残ったことも一つの傍証になるでしょう。
そしてこの島津家こそ、五大老に入るべき、入ってもおかしくない大名家ではないでしょうか。
もし島津家が五大老の一角を占めていたら、天下分け目の関ヶ原は毛利島津同盟対徳川家康と言うどこかで見た様な戦いになったでしょう。

拍手[0回]

プロフィール
HN:
冬至楼均
HP:
性別:
男性
amazonブログパーツ
忍者アド
アクセス解析
過酷人生ゲーム
Powered by Ninja Blog    template by Temp* factory    icon by MiniaureType

忍者ブログ [PR]