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某所での論議の話。
正確な年齢は判らないが、多分自分より若い論客が、若さ故の暴論を吐いている。
相手をしているのは自分より恐らく上の世代の方々で、悪く言えば枯れた、良く言えば練れた対応をしている。
両者の中間ぐらいに居る自分としてはどちらの主張もそれなりに理解出来る。
若者の発言は一昔前の自分のそれにかなり近しい物がある。ああ、無知が恥でなかったあの頃が懐かしい。
出来れば言ってやりたい。「その程度の事は昔俺も考えていたよ」と。
でも、馬鹿で無ければいずれ自分で気付くだろうなあ。

にしても、良い若い者が「保守」ってどうなの。

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随分と間が空いてしまいましたが。
無二の親友であったこの二人も、徳川幕府打倒という大目標を達成した後、その目指す道を異にします。
独裁開発と言われ中央集権を協力に押し進めた大久保に対し、故郷に戻って自治独立路線を突き進む西郷はどちらかが消えなければ成らなかったでしょう。
この対決において「西郷が勝っていたら」と言う仮定は無意味です。西郷には中央政府打倒の意思が見られないからです。

しかし、中央集権路線と地方分権路線は歴史的にもしばしば見られる主要な対立軸であり、
何かの理由で大久保の路線が頓挫したならば、西郷の復活もあり得たかも知れません。
実際に大久保の暗殺は西南の役の翌年な訳ですし。

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D氏は後継者である頼家や実朝の悲劇を以て頼朝の失敗としたいらしいですが、それは酷というモノです。
頼朝の「政治的天才」と言う評価は鎌倉幕府を作ったことに拠るモノですから、彼の死後についての評価は含んでいません。
D氏は北条家の「頼家粛清」を下克上であると主張しますが、歴史的な用語を全く理解していないようです。

さて本題です。
D氏は頼朝の女性問題をクローズアップして女性無しではいられない異常者であると断じます。
これだけでも失笑モノですが、そこから更に踏み込んで異常者であるから天才である(可能性がある)と展開します。流石に付いていけません。
このスレは本来頼朝の「政治的天才」を否定するモノであったはずです。
C氏はこの驚天動地の展開をどのような気持ちで眺めていたのでしょうか。

異常者=天才は彼の中では動かし居がたい事実となっているらしく、
異常でない天才の例を挙げられても全く意に介しません。
初めは「天才はすべて異常である」を証明する筈が、「異常でないモノは天才ではない」となります。
完全な循環論です。

最後に一言、D氏は(彼の基準で)天才なのでしょう。

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第二の人物D氏は
「ちょっと視点を変えた方が良いですね」
と題して参戦してきましたが、悉く的を外しています。

D氏の頼朝批判は、彼の「学習能力の無さ」でした。
平治の乱に際して、彼は都合二度はぐれています。一度目は居眠り、二度目は降雪のため。しかし、この一件の責は父義朝にあって年若い頼朝を責めるのは酷です。
女性問題でも二度起きています。一度目は確かに殺され掛けましたが、二度目は一度引き離されたモノの結局許されています。
むしろ一度目のケースの方が異常なのかも知れません。

しかし問題はこの後です。
D氏は頼朝が「政治の天才」であれば、北条一族は粛清されるべきであったと主張します。
しかし、北条一族は頼朝にとって最も信頼出来る味方であり恩人です。それを真っ先に粛清すべきなど狂気の沙汰としか思えません。
これなどは下種の後知恵と言うべきモノですね。
そして彼の結論はC氏が先に否定した「頼朝傀儡説」に至ります。

にも関わらずこの投稿を受けてC氏は頼朝嫌いの味方を得たと「援護射撃へのお礼」
を述べます。両者の主張は明らかに食い違っているというのに。
(中道政権に対して極右と極左が共に批判を行っているかのように…)
D氏の論はこの後更に暴走し、スレ主のC氏はこの後姿を消します。流石にやばいと思ったのでしょう。

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最も論争が激しかったのが二番目の女性問題でした。
C氏は「山木判官の娘といい、政子といい…」と初めから事実誤認をしていた訳ですが。(正しくは「伊東祐親の娘」ですね)
私がこれを指摘したときも全く訂正は有りませんでした。間違いを認めたら負けと思っているのでしょうかねえ。

私の反論は二点。
女狂い(と見せたの)は頼朝なりの韜晦ではないか。
姻戚関係を通じて味方を求めていたのではないか。

後者については全く反応無し。
前者についてはまあ、意見の相違もあるから特に争うつもりはなかったのですが、
ここで第二の人物が登場する訳です。

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