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離婚することは世間体が悪い、と言う考えは古い家族制の名残と思えるかも知れないが、実は日本本来のモノではない。
(日本的家族制の根底である)儒教では、女性の腹は”借り腹”であり、
「三年子無きは去る」
と言われるように離縁そのものは珍しくない。
江戸時代には離縁される女性は三行半と言われる去り状を渡されるが、これも再婚許可証と言って良く、男性優位のモノではない。
離婚を悪と見る発想はキリスト教に起因するモノで、早くても明治以降、実際には戦後の風潮だろう。
更に言えば、結婚までは処女を守るべきと言う道徳も明治以降。
キリスト教の処女崇拝の賜物で、それ以前の日本の風俗はもっと大らかだった。

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儒教における本来の孝とは結婚して子を成すこと。より正確には祖先の祭祀を絶やさない事である。
それが家族制度の確立により、家名を継ぐ男子優位へと進む。
(以前にも書きましたが、「孝」の本家である中国は今なお夫婦別姓ですからね)
そう言った意味では、現在の少子高齢化社会の日本は親不孝モノが増えていると言える。かく言う自分もその同類の一人であるが。

要するに本来の孝行は親が死んだ後に意味を持つ。
よって「孝行したいときに…」という言葉は的はずれである。
長寿社会では親孝行は介護=親の死を看取ると言う変わってきたようだ。

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某有名掲示板で定期的に上がる「町内会不要論」を読んで。
まず、強制ではないのだから嫌なら入らなくても良い。但し、万が一の時に生じる不利益には文句を言わないこと。
行政がしっかりしていれば町内会はいらないというのはあまりに単純。
まず自分のことは自分でヤルという自助の精神は結構なのだが、それが及ばないと直ぐに行政すなわち公助に頼ると言う発想が問題である。
自助と公助の間に共助という段階がある。それを受け持つのが自治町内会なのである。
行政がすべてやってくれるなら一見問題がないように思えるかも知れないが、共助レベルでその一部を肩代わりすれば、行政は予算をもっと別の場所へ振り分けられるのである。
自治町内会が利権化している所もあるのだろうけど、それは地域の人間で改革すればよい。

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「国境なき医師団」の活動は紛れもなく善意の発露である。
しかしそれは本当に世界の為になるだろうか。

いわゆる先進諸国では近代文明の発展に伴って医療を初めとする様々な社会的な生活条件が改善される事で死亡率が劇的に下がり平均寿命が延びる。
それと平行して、生活水準が一定水準を超えると、社会は保守化して出産に対して積極的でなくなる。
これが少子高齢化社会への過程なのだが、後進国では劣悪な医療レベルが改善する事で死亡率が改善され、しかし生活水準が伴わない為に出生率が高いままという不均衡が起こる。
これが人口爆発をもたらした。
つまり医療水準だけが突出して改善する事は、却ってその国の社会体制を不安定化させてしまうかも知れないのだ。

善意から発した行動が時に悪をもたらす事がある。逆に悪意から発した行動が結果として善を生む事もある。

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昨日のネタの関連、と言うかこちらが本題。(つまり昨日のは一種の前振り)現在の結婚制度は一夫一婦制が世界標準となっているが、これは正しいのか。
そもそも結婚制度は文明のタイプと深く結びついている。
儒教では男尊女卑の思想から「女の腹は借り腹」となる。故に夫婦別性である。結婚は家単位の結びつきであり、家の維持が重視されるから妻が子を成さなければ離縁もあり、あるいは側室を認めると言う事になる。
イスラムは、四人まで妻を持てるが、これは必ずしも女性蔑視ではなく、様々な理由で夫が早死にする社会情勢を鑑みて、残された寡婦を保護しようと言う意図がある。
そしてキリスト教社会では、結婚はどちらかというと否定的に捉えられている。
(これはキリストが生涯独身であった事から来るのだろうか)
一応ユダヤ教の伝統を踏襲して結婚は神を仲立ちとする神聖な契約として捉えられる。
いずれも、その当時の社会に置いてはそれなりの合理性があったのだろう。しかしそれが永久不変の原理というわけではあるまい。
世界的に(キリスト教的な)一夫一婦制が広まっているのは西欧世界が列強として世界を席巻した故である。
もしイスラムや儒教が世界のスタンダードとなっていたら、別の世界標準が生まれていただろう。

断っておきますが、私は別に一夫多妻を望んでいる訳ではありません。
しかし、一夫多妻でないから「遅れている」とか「野蛮である」というのは筋違いだと考えるだけです。

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