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民主党政権が繰り返し訴えるのが「官僚支配の打破」である。
しかし、官僚支配の何が悪いのか。
むしろ官僚が国のシステムを掌握していない方がよほど危険である。
官僚支配を訴えるのは政治が官僚を統治出来ていないと言うことであって、これをむしろ恥じるべきだろう。
官僚を統治出来ないからその支配力を破壊してしまえと言うのは如何にも革新の発想である。
彼らは現状のシステムを破壊して一から作り直す方が簡単だと思っているようだが、それは先人の知恵を無視する傲慢な態度であろう。

官僚というのは船に喩えるとエンジンである。対して政治家は舵である。
舵が機能していないから船=国が明後日の方向へ向かってしまう。
舵が機能しても、エンジンが止まってしまったら船=国はただ流されるだけになってしまう。

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例の臓器移植法案により、脳死者からの臓器移植の事例が増えています。
これまでは臓器提供の意志がある人間がカードを持つ制度でしたが、ここは逆転の発想で移植を拒否する人間がその意志を残すべきでしょう。
家族と話し合ったかと言う認定法では、家族全員が知らないと言えばそれまで。家族が移植OKの場合には無視される可能性もあります。
逆に本人にその気があっても、家族が嫌なら移植はすべきではないと思います。
まず前提条件として移植に関して金銭の授受が行われないこと。
これが満たされないと、遺族による臓器売買が発生しますから。

以上から、移植が否定されるケースとして、
1,本人の拒否が確認される場合。
(保険証などに移植拒否を明記する制度が現実的でしょう)
2,遺族が拒否する場合。
(この場合の遺族とは遺産の分与を受ける人間とします)
3,死因に事件性が有る場合。
(死体は事件解決の為の重要な証拠となりますからね)

過去に移植を受けた人間は、当然に他人に移植をすべきだと思います。
他人の臓器は貰うけど、自分の臓器はやりたくないでは通りませんよね。

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某大手新聞の掲示板で、親と同居している人間は自立していないと言う意見に賛否両論が寄せられています。
こういう意見が出るのは戦後の個人主義が伸張してきた所為なのでしょうけど、果たして一人暮らしが自立の条件となり得るのか。
そもそも自立って何?
一人で何でも出来ること?
現代社会は社会的分業が進んでおり、ありとあらゆる事を自分で出来なくても良い。稼ぎが良ければ家事なんか外注しても良いのだ。その方が新たな雇用が創出出来る。これがワークシェアリングの基本である。
親に家事をやって貰うことが果たして依存なのか。子供の世話を焼くことはボケ防止になるし、逆に動けなくなったら子供の介護も期待出来る。むしろ高齢化社会における望ましい家族制度ではないか。
親の世話にはなりません。だから親の介護もしません。となっていないか。

参考文献
「反社会学講座」

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普通は年を食うと保守化する。とだいぶ以前に書いたが、その例外が革新政党の方々と言うことになる。
彼らが保守化しなかったのはある種不遇な為だが、彼らはその不遇が自分以外の何かの所為だと確信している。
革新の問題はそこにある。
彼らは自分たちが正しいと信じて疑わない。だから革新政権はまず旧政権の否定から入る。
今の民主党政権がまさにそれである。
それでも鳩山前総理はまだ良かった。その出自が保守政党だった故にまだ遠慮があった。しかし生粋の革新派(いわゆる市民派)である現総理にはその躊躇いがない。
そればかりか新たなシステムの提案すら出来ない。
つまり旧体制を壊すばかりで何も作り出せない。せめて次の代表選でもう少しマシな人物が選ばれて欲しいモノだが…。

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二つの異なる文化が出会ったときに生じる摩擦をカルチャーショックという。
文化というのは何も国家単位・民族単位ばかりでなく、家族単位で存在する。結婚というのは二つの家族文化が出会う文化摩擦を生じさせる。
などと未婚の自分が言ってみても説得力はないかもしれない。

常識というのは家族単位で発生し、日常の暮らしの中で互いにぶつかり合って形成されていく。
両者の距離が離れるほどその文化・常識に違いが生じるが、その交際の深さによってその摩擦の大きさが異なる。
近代の家族問題は、社会規模が大きくなった事で夫婦に成る男女の文化格差が大きくなった事が原因ではないか。
話を日本に限っても、言語はTVメディアの影響で格差が無くなったが、日常の文化ではまだまだその格差が大きい。
なまじ言葉が通じるからこそその文化の違いが却って問題を起こす。
話せば分る、と言うのがそもそもの誤解の始まりだ。

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