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女権論者から夫婦別姓を望む声が多い。
しかし、そもそも姓と言うのは家族単位を示す指標であるが、それが必要なのは人間が男系社会を形成してきたからである。
女系社会であれば、親子関係は生物学的に確定するので、形式的な指標など不要である。
つまり男女同権を言うので有れば、別姓ではなく廃姓を主張すべきではないだろうか。
親子関係を示したいなら母親と父親の個人名を連ねて表記すればよい。
まあその場合にどちらを先に示すかで揉めるかも知れないが。

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いじめは悪い。それは当然だが、その結果として子供を自殺させてしまうのは親の敗北だと思う。
子供がいじめを受けていたことを親が承知していたならなおさら。
学校や同級生を責めている閑があったらまず子供を守るべき。自分の子供を死なせてしまった後では何をやっても無意味である。

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警察には民事不介入という原則があるが、原則に忠実すぎた結果の一つが児童虐待問題ではないだろうか。
かと言って、こうした問題に直ちに公権力が介入してくると言うのも問題である。
まずは自助。子供が夫婦で育てられないならまず相談すべきはその親世代なのだけど、家族制度の崩壊により嫁姑関係が希薄になっている昨今では特効薬には成りにくい。
(そもそもこういう家族関係が上手くいっていれば児童虐待なんか起こらないだろうから)
次に頼るのは共助。かつて存在した隣近所のコミュニティの再建が求められる。
そして最後に頼るべきが公助。
こういう問題に対して専門的に当たる第三者機関の創設は急務である。
少子化対策も良いけど、まずは今生きている子供達を守ることが先であろう。

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ヴィクトリア朝時代の女性に関する本を再読。
女性が余っているのは現代日本と酷似しているが、問題はヴィクトリア時代には女性の働き口がほとんど無かったと言うこと。
では就労の機会が開かれている現代の女性が幸福なのか。
そもそも「余る」と言うのは未婚と言うこと。対して男性は当時も今も未婚だからと言って「余った」とは言われないだろう。
婚活というのは余った女性の迷走だし、草食系男子というのも自主的に「余っている」男性に対しての女性側からの命名だ。
婚姻という制度が根本的に子孫を効率的に残す為の制度だが、これは女性の為にあると言っても良い。
極論を言えば男性にとっては結婚のメリットは(皆無とは言わないが)極めて薄い。
ヴィクトリア朝時代の女性の悲劇は(現代日本にも通じる事だが)一夫一婦制にあるのではないか。
男女比がアンバランスなら複数の女性が一人の男性を共有する形式もありではないか。無論その逆も可である。

 

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「知らぬが仏」と言う言葉がある。
人は他人と比較して自己の幸不幸を計ってしまう傾向がある。
情報が遮断されていれば、自分が不幸である事に気付かずにいられる。とも言える。
無論必要な情報というモノはあるのだが、情報化社会においては知らずに済むことも知ってしまうと言うデメリットが有るのではないか。
行き過ぎた情報化社会は悪平等の温床となり、全員を不幸にしてしまうのかも知れない。
もしかすると”最小不幸社会”とは情報遮断社会なのかも。

「余所は余所、うちはうち」これが不幸連鎖を断ち切る呪文である。

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