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「警察の誕生」(菊池良生・集英社新書)を読んで、一つ興味を引いたのがフランス革命の自由理念は個人の自由であり、団結・結社は禁止されたと言うこと。成る程、これなら個々人をバラバラにすることである種の平等も図れると言うことでしょうか。
いずれにしてもフランス革命の帰結は恐怖政治であり、そんなモノを評価しようとは思いません。

さてここからが本題。タイトルについててですが、現行の法律には政党を規定するモノが無いらしいのですね。
いわゆる”政党要件”と言うのは政党助成金の付与条件でしかありませんが、これの問題点は新しい政党が生まれにくいと言うこと。言い換えれば既存の政党の既得権益擁護になっています。
私案”政党結社法”では政党は半営利法人。(非営利でないのは政党には達成すべき目的が必要だからです)
現行のような助成金を与えるのではなく、一定限度の免税を付加します。当然ですが収入と支出についてはきっちりと帳簿を付けて監査を受ける必要があります。
相互の目的が相反しない限り複数の政党結社に所属することは可能です。いやその手の離合集散を繰り返して大きな政党に成っていければ良いと思います。
言うなれば下からの政界再編とでも言いましょうか。


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知事というのは基本的に行政官であり、公務員的な事務処理能力が欠かせない。かといってそれだけでは知事になることは出来ないだろう。
要するに知事は官僚と政治家の両方の資質が求められる。事に依ると国会議員より難しい仕事かも知れない。国会議員が務まったからと行って知事が務まるとは限らない。
国会議員としてある程度の実績を残した人間なら、知事としてもある程度の力は発揮出来るだろう。
その一方で国会議員よりも地方の首長(政令市の市長も含む)の方が力が発揮出来ると言うタイプも居るだろう。
有能な行政官であるのに政治力が足りない(もっと具体的に言えば選挙で票が捕れない)為に知事に成れない人間が居るのは仕方ないが、より悲劇なのは選挙で票を取れるのに行政能力がまるで無い人間が知事になってしまうことだ。
既成政党がある程度機能していれば能力のある人間を上手く登用してやっていけるのだろうが、今のように政党離れが進むと単に人気のある、弁が立つだけの人間がトップに立って行政を混乱させてしまう。
戦前の知事の任命制というのもある意味で有効なのかも知れないと思う。その場合には公選によって選ばれた議会の監視機能がより重要となる。
トップダウン式の知事とボトムアップ型の議会によってバランスを取ることになるだろう。

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恐怖というのはある種の文化だと思う。
生まれたばかりの子供は一切の恐怖を知らない。恐怖は生きて行く為の知恵の一つであって、様々な教育によって恐怖を身につけていく事になる。
地震というのは確かに恐れるべきモノだが、地震そのものはさほど危険ではない。危険は人が作ったモノが壊れる過程で生じる。
(但し今回の震災では津波という自然の脅威があったが)

子供達が震災で感じる恐怖は大人達の不安が投影された結果と言える。
大人達が感じている不安とは地震の被害よりも震災後の生活に関するモノではないだろうか。
子供達は先が見えないことに対する不安はない。彼らにとっては未来は常に未知数である。対して大人達は良くも悪くも繰り返しのサイクルに入っているから、それが壊れると非常に不安を覚える。
要するに、子供達の恐怖を解消する為には、大人達の不安を解消することが不可欠なのだ。

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現状を見ていると、思い出すのは16年前の阪神淡路大震災。
無策無能なトップが状況をより悪化させた点もそうだが、何よりも政権与党が分裂の危機を孕んでいたこと。
あの当時、連立政権を組んでいたのは自民党と社会党という後にも先にもあり得ない組み合わせ。
社会党はそれまでの党是を捨てて自衛隊を合法とする急激な”現実路線”への移行に耐えられず分裂寸前だった。
震災によって進んでいた左派の集団離党が不発に終わり、純化の機会を失った社会党は党名を社会民主党と改名して存続したモノの、党勢を大きく失墜していまや泡沫政党化。
あの時、震災が起こらず、社会党が分裂していたらどうなっていただろうか。
自民党と対峙する第二政党は今の民主党よりも左寄りの、より分かりやすい日本的な社会民主主義政党だっただろう。

今の民主党も、震災がなければ確実に分解していた筈だが、これでまた政界再編の機会が遠のいた。民主党は一時的に寿命を長らえたが、むしろ党の健全な再生機会が失われたとも言える。
統一地方選は一部先送りとなり、国民の信を問うと言う意味合いが薄れた。みんなの党が全国一律で先送りをと主張したのは、多分に党利が感じられる。先の名古屋市議選で議席を取れなかった事から、まだ地方への浸透度が足りないと判断したのだろう。(あそこはむしろ減税日本と共闘すべきだったと思うのだけど)

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いつもの某掲示板で団塊の世代のP氏が
「サヨクの主張は国家を衰退させるのが目的ですから、騙されてはいけません」
と書いていたので、
「…いまどきのサヨクはそこまで深く考えて行動していないと思います」
と返したのですが。その付け足しで、
「自分と社会が合わないとき、社会を自分に合わせて変えようとするのがサヨク、逆に自分を社会に合わせていこうとするのがウヨク」
と言う個人的な見解を述べたのですが、
じゃあ俺もサヨクかと(実際にはもっと穏やかな表現で)詰め寄られました。
あの世代の方はサヨク=悪というすり込みがあるんでしょう。
ご自分の思想信条を切々と語られましたが、自分が正しいと言う信念に満ちあふれていてやはりサヨクだなあと実感しました。
常に自分の方が正しくて訂正の必要が無かったとすれば、それは相当な天才だと言うことですね。

サヨクでもウヨクでも問題なのは盲信。
ウヨクは社会に対する盲従なので固まりになりますが、サヨクは自己に対する過信なので互いの相違を埋められずに共食いを起こします。
ウヨクは救いようがありませんが、サヨクには良いサヨクと悪いサヨクに分けられます。
問題は社会が何故そうなっているのかを立ち止まって考えること。
経緯が分かれば何もすべてをぶちこわして一から組み上げよう等とは思わないでしょう。
でも自分が正しいと思いこむからなかなか微調整が効かないんですよね。
自己と他者を相対化して客観視すること。それが私の目指す中道の理想です。

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